bible

 N.T.Wrightについて

N.T. WrightのHow God Became Kingの読書会がまもなく始まろうとしているので、NTWをこれまで読み、聞いてきたものとして、彼の特徴をいくつか挙げておきたい。 まず、彼はイギリスの福音派出身であるという点。「4つの法則」なんかも良く知っている世代であ…

 箴言について

箴言について呟いたのがfacebookに行って、そこで起こった会話(とわたしのぼやき)をここで再録します。 今日の大発見。箴言で新改訳が「愚かな者」とあるところを新共同訳は「無知な者」、岩波訳は「愚か者」、フランシスコ会訳は「愚か者」としている。と…

 ええ、二つも新訳が

毎日新聞の記事から。 聖書:新たに翻訳始める 16年出版予定 日本聖書協会(東京都中央区)は2日、新たに聖書の翻訳を始めると発表した。2016年に「標準訳聖書」(仮称)として出版する予定だ。 同協会は1887年に「文語訳聖書」、1955年に「…

 創世記22章

創世記22章から説教をするということで、読み直してみた。 前から、アブラハムの行動が淡々としている、葛藤している姿が見えない、など、よく言われるテキストである。この淡々とした行動がヘブライ文学特有のものだ、という理解がある。 ちょっと別の視点…

 通過儀礼としての割礼

今度の伝道会議で話す内容の概要を提出した。そんなわけで、それをここに記載する。 とはいえ、まだ、いろいろと手を入れ、参考文献をあさり、発展させるつもりではある。 割礼から学ぶ通過儀礼の聖書的意義 1. 通過儀礼としての割礼 アブラハムと主との契約…

 Accordanceのチャレンジ

先日書いたAccordanceのチャレンジ、応募した。そして、先日、以下の回答を送った。 1. A five-letter palindrome in Ezra ・????(=2)?(=1) search within every "verse" of "ezra" Aziza (ezra 10:27) 2. A place name with 3 sets of doubled letters (lik…

 Accordanceのチャレンジ

Accordanceのblogに聖書のことばの検索に関するチャレンジが書かれてあったので、一生懸命解いてみる。対象になる聖書のテキストはKJV。結構、いい勉強になる。 問題は、以下の通り。 1. A five-letter palindrome in Ezra 2. A place name with 3 sets of d…

 日本語とヘブライ語

単純な日本語とヘブライ語の翻訳ならば、googleの翻訳(http://translate.google.com/)を使うとできそう。とはいえ、現代ヘブライ語のようなので、母音記号はない。

 Blue Letter Bible

インターネットで簡単に聖書の原語の情報が得られるサイトとして、Blue_Letter_Bible(http://www.blueletterbible.org/)がある。ただし、英語ができることが必須。英語が一切分からない方は、以下はパスしてください。 まず、上記のサイトに行く。すると、…

 荒布をまとう

信徒のから、「服を裂き、荒布をまとう」とはどのような姿か、質問が来た。 旧約聖書によく出てくる表現だが、具体的にどのようなものか、あんまりよく分からん。そこで、少し調べて見た。でも、結局、あんまり分からなかったのが事実のよう。 「荒布」(sac…

 これからの英語の注解書発行予定

これからでる、またこれまで出ている英語による注解書の発行予定が、次のページに書かれている。今後の記録として、載せておくことにする。 Forthcoming Commentaries - Parableman

 箴言10−22

箴言10−22における教育方法をWilliam P. Brownの論文に則って考えている。BillにはInductive Bible Methodにおけるcrucialityという発想がないので、論文に見る限りにおいては、16章が全体の大きな転換点であるという主張は出てこない。しかし、私から見るな…

 黙示文学の続き

ダニエル書をゆっくりと学んできた。結構面白かったが、ダニエル書の後半のヘブル語は読みにくい。 黙示文学を読むということで、次はエゼキエル書38〜39章。ゴグとマゴグの話。正確には、「マゴクの地のゴグ」。ただし、この表現が黙示録20章に登場し、千年…

 Accordance

神学校のMac使いの学生が、聖書のソフトがほしい、ということで、Accordanceを彼の代わりに購入。Versionが8に上がったので、少し売り方が替わったようだが、本質的には、これで十分か。かのホームページ曰く、 The Scholar’s 8 Introductory Level offers a…

 ダニエル書10章

今日は、ダニエル書の10章の話をする。とはいえ、中心は天と地について、N.T.Wrightの提案を参考にして、ダニエル書の文脈の中でどう考えるか。午前中は準備の時間がたらず、かつお腹が空いていたので、あまりうまくまとまらなかった。そんな訳で、珍しいけ…

 ダニエル書9章

明日の準備のため、今日はダニエル書9章。 エレミヤの預言から70年たった時点(ダリヨスの元年)で、さらにこの後のことが示されている章。ここでも、黙示文学特有の、多重な意味を持つ象徴的表現が満ちている。「油注がれた者」はだれか、「荒らす忌むべき…

 ダニエル書を読む(その3)

今日は、明日のために、ダニエル書八章の準備。いろいろ読みながら考える。 テキストは、メディア・ペルシャ帝国と、その後に起こるギリシア帝国。アレキサンダー大王から、四人の将軍、そしてアンティオコス四世の登場、ユダヤにおける宗教迫害がはっきりと…

 授業

今日はヘブル語の授業。名詞についての話と喉音についての話をまとめて。 なぜ、名詞の複数形について考えるのか、とか、接頭辞や接尾辞について考えるのか、を思う時、なるほど、と思うことがあった。それは、どれも「語根を知る」ことが目的になるからだ、…

 ダニエル書を読む(その2)

昨日、ダニエル書について、その解釈について考えた。しかし、なんとなくまだ不十分。 一番大きい問題は、黙示文学は本質的に「一義的な解釈」を求めているのか、という点。ジャンルを正確に認識し、適切な歴史的、社会的、文化的、神学的情報があれば、「角…

 ダニエル書を読む(その1)

先週から、教会の祈祷会ではダニエル書を学んでいる。テーマとしては、終末に関する聖書の箇所を学ぶ、ということである。そんな訳で、ダニエル書の後半、そして、ゼカリヤ書の後半、エゼキエル書の一部を読む予定にしている。その後、福音書の終末論、パウ…

 Aleppo Codex

ある先生にaleppo codexを買えないのか、という話を聞かれ、どこかで手に入る、という話を聞いたので、チェックしてみる。すると、 http://aleppocodex.org/ で、ただで見れるではないか。すごく便利。

 なぜ旧約聖書を解釈するのか3

解釈の第三の段階は、統合(Integration)である。これは、解釈の段階で得られた知見を、より広い文脈の中に置き、その限界、その広がり、その対話を知る作業である。まず、聖書という正典全体から、考える。この場合、いわゆる間テキスト性(intertextualit…

 なぜ旧約聖書を解釈するのか2

それでは、旧約聖書に忠実に応答するためには、どのようなプロセスを経るべきだろうか。 まず、聖霊による導きを求める祈り。これは、解釈するあらゆるプロセスにおいて必要となる前提条件である。つまり、クリスチャンの聖書解釈は、本質的に「ノン・クリス…

 なぜ旧約聖書を解釈するのか

10月から「旧約釈義」を教えるのだが、その準備のため、「なぜ旧約聖書を解釈するのか」という点について考えてみた。 旧約聖書を読む時、なぜこれを「解釈」する必要があるのだろうか。ただそれを読み、それを自分の今の状況に当てはめたらいいのではないの…

 帰納的聖書研究法

昨日の考えの続き。 帰納的聖書研究法について教授する場合に、何を伝えるべきだろうか。また、Bible Study That Worksに対して、何を追加し、何を省略して教えるべきだろうか。 まず、デザインに関しては、あくまで「観察」の手助けである、という側面を強…

 なんの本を書くべきだろうか

今日、キリスト教書店に行き、いろいろな本を見ながら考えてみた。 旧約聖書の概論の本を書くならば、アウトラインを載せて、簡単な注解書みたいなものを書いても仕方がない。そのような本はいろいろとある。 それでは、どのような特徴が必要なのだろうか。 …

 まだ聖書の霊感について考える

これは現在思考中の書きなぐり。まだちゃんと考えがまとまっていません。引用はしないように。 聖書の霊感は正典である66書のテキストに焦点を当てている(「旧新約聖書はすべて神の霊感を受けている」)。したがって、最終形態にあるテキストが霊感を考える…

 霊感と正典:わたしの頭の中の混乱

以下の文章の内容は「思考、現在進行形」であって、結論ではありません。引用しないように。これをもって、私の考えであると結論づけないように。 聖書の霊感と聖書の正典性は切っても切れない。なぜならば、霊感とは正典である書物に関することについて語っ…

 聖書の持つ三つの側面と霊感

これは現在進行形の考えを勝手に書いているだけです。引用しないように。わたしの意見は変わります。 聖書には三つの側面があると考えることができる。歴史的、文芸的、そして正典的の三つである。 歴史的とは、聖書は歴史のプロセスを経て、誕生してきたも…

 歴史的批評学を用いることの必要性

これはまだ現在進行形の考えを投げているだけ。決して引用しないように。私の考えは変わります。 聖書を学びに当たって歴史的な考え方は必要ないのだろうか。単に聖書のテキストの最終形態を学べば良いのだろうか。そうではない。聖書そのものがある特定の時…