なぜ旧約聖書を解釈するのか2

 それでは、旧約聖書に忠実に応答するためには、どのようなプロセスを経るべきだろうか。
 まず、聖霊による導きを求める祈り。これは、解釈するあらゆるプロセスにおいて必要となる前提条件である。つまり、クリスチャンの聖書解釈は、本質的に「ノン・クリスチャン」の聖書解釈とは異なる。そして、礼拝と祈りと聖霊という文脈の中で絶えず行われるべきものである。
 実際的なテキストに取り組む場合、四つのステップがある。
 第一に、「観察(Observation)」。まず、テキストに一体なにが書かれているのか、というのを正確に把握すること。そこになにがあり、そこになにがなく、あるものがどのように並べられているのか、正確に理解する。そのために、特に必要なのは、文学的構造である。文学的構造を見つけるのが目的ではなく、そこに書かれていることを、正確に表現するとどのようなラベルを付けることができるかを考えるプロセスである。二つの異なったものが対照されて置かれているならば、「相違点の対比」というラベルを付けることができる。従って、「文学的構造を見いだす」というよりは、「書かれていることを、『文学的構造』のマークでラベルを付ける」ということだろうか。正確にラベルを付けることができれば、正確にその文章を把握している、と言うことになる。
 このラベルを付ける際に、ラベルにふさわしい疑問をかかげることが大切である。そして、その疑問に答えることによって、自分のつけたラベルが適切であるかどうか、わかってくる。「なにがそこにあるか」「どのようにそこにあるか」「なぜそこにあるか」「示唆されることはなにか」という四つのレベルの質問が出てくる。
 第二に、「解釈(Interpretation)」。解釈とは、観察によってつけられたラベルから生み出された疑問点に対して、答えること。ただし、この答えを見いだす際に、考慮すべき点が数多くある。まず、ターゲットとなっているテキストそのもの。次に、そのテキストが置かれている文脈(Greenはこれをco-textと呼ぶ)、前後関係。直前、直後。その書全体。それを考慮しつつ、考える。次に、そのテキストが置かれている文化、経済、社会、歴史的な文脈(Greenはこれをcontextと呼ぶ)。これらを考慮して、「そのテキストが伝えたいことを最も的確に受け止められる読者」という立場で(implied readerか)、疑問点に答えていく。