箴言(その17)有能な妻を見つけだすのは誰か?

<これが箴言の最終回>
 
 第1〜9章において両親から説得を受け、その後の様々な格言を聞くことによって具体的な知恵を得た息子はどうなったのでしょうか。箴言全体の結論にあたる31:10-31において、この青年の進んだ道が示唆されています。彼は「知恵を収得する」事を選択し、箴言を続けて学び、そして知恵ある者となり、理想の妻をめとり、一人の成人として家庭を継承したと考えられます。ある意味で理想を描いてはいますが、この息子はどのようになったのでしょうか。彼が自ら学んだ知恵に基づいて選んだ「理想の妻」とはいったいどんな女性なのでしょうか。ヘブル語によるいろは歌でもある箴言最後の詩から考えてみましょう。
 
I. 「有能な妻」の姿
 この詩は「誰が賢い妻を見つけることができるか」(31:10)で始まります。ただし、「賢い妻」という訳はあまり適切ではありません(新共同訳は「有能な妻」)。むしろ、「英雄なる妻」と訳されるべきです。もし彼女が男であったとしたら「戦場の英雄」です。しかし、聖書の時代の女性は、家庭を司るという役割分担が比較的明確でしたから、彼女を「家庭の英雄」と呼ぶことができます。そして、英雄である彼女は「宝石に優る」(3:15; 8:11で『宝石に優る』のは知恵)と言われる「知恵が人となった」女性です。
 「有能なる妻」の持つ様々な特徴がこの詩には描かれています。まず、彼女は、家庭に必要なものを全て揃えることができ(ちょうど勇者が戦利品を得るように)、それゆえに夫からの信頼を勝ち得ている「よい妻」です(31:11-12)。夫の言いなりになっているというよりは、知恵ある者をも賢く責めることのできる夫のよきパートナーです。その上、羊の毛や亜麻を求め、それを紡いで糸にし(31:13)、それを織って布を作り(31:19)、さらには亜麻布や高価な紫布を織り、美しいしとねを作ります(31:22)。家族には暖かい着物(「紅の着物」ではなく「二倍の着物」〔31:21〕)を着せ、さらには自らのつくった亜麻布の着物や帯をつくっては商人に売っています(31:24)。単に家庭内にとどまらず、商売までする「スーパー・ウーマン」と言えるでしょう。まさに「家庭の英雄」です。
 彼女の働きは衣料関係にとどまりません。商人があちこちの国から珍しい食物を集めてくるように、夜明け前から市場にでていって、家族のための食物を集め、さらには家の召使いの女性たちに食事についてなすべき事を指南します(31:14-15)。家庭のためにふさわしい畑をも探しだし、それを買い取って、生活に欠かせないぶどうを作ります(31:16)。たいへん広い意味で「家事全般」を彼女は取り仕切っているのです。そして、彼女の「英雄的」とまで言える家事に支えられて、彼女の夫は町の有力者となり、町の長老の一人として、町の門で裁きをつかさどっています(31:23)。もちろん、このことは彼自身の適切な選択(知恵を選び、知恵に生き、ふさわしい女性を妻として選ぶ)の基づいていますが、このことについての妻の功績は絶大です。
 このように、「有能な妻」は「家庭という名の戦場における英雄」です。事実、「戦場での英雄」のような姿で描かれ(「力をもって腰の帯とし、その腕を強くしている」[31:17、詩篇93:1参照])、知恵という名の高貴な衣服を身につけています(箴言31:25)。「力と気品」とは主の前にでる時に着る、高貴な衣服を指しています(イザヤ52:1参照)。彼女は知恵によって身を固めた、家庭の英雄です。
 
II. 有能な妻の土台:知恵
 「有能な妻」はその手を存分に用いています。彼女はさまざまな衣料を自らの手で作り(31:13, 16, 22, 24)、その手でぶどうをも作っています(31:16)。しかし、その手は貧しい者を養い、乏しい者を助ける手でもあります(31:20)。ですから、彼女の手は、単に「ものをつくり出す」働き者の手ではなく、家庭を作りだし、公正と公平をつくり出し、様々な立場の人が共に集いうる共同体をつくり出す手です。
 そんな「有能な妻」の働きの土台になっているのは何でしょうか。それは「知恵」です。彼女は「知恵」に生き、「知恵」を教えています。そして、神と人との契約に基づく忠実な生き方を絶えず語っています(31:26)。ちょうど夫が「知恵」を選択して家庭を継承したように、彼女も「知恵」を選んで生きています。更に、彼女は「知恵が人となった」女性と言っても過言ではありません。また、彼女は「家のことをよく顧みる」(31:27) 女性です。ただ、この「よく顧みる」と言うヘブル語は「ソーフィーアー」と発音し、ギリシア語の「知恵」(ソフィア)と同音です。つまり、彼女は「家のことを顧みる」だけではなく、「彼女の家庭での生き方は知恵である」とも訳すことができます。彼女は「知恵が人となり、わたしたちのうちに宿った」存在といっても過言ではないでしょう。
  
III. 夫もこどもたちも彼女をほめたたえる
 知恵が人になったような女性を夫やこどもはほめたたえます。家庭の英雄たる女性がほかに多くいたとしても、彼女に優る女性はいません(31:28)、と。なぜならば、「知恵」が人になったような女性は彼女以外にはいないからです。外見的に美しい女性であったかも知れませんが、彼女を飾るのはあでやかさや美しさではありません。これらはやがて朽ち果てていくものだからです。むしろ、主をおそれ、主の主権の下に生きている生き方、つまり「知恵」が彼女を美しく装っています(31:30)。人々はそんな彼女をほめたたえ、家庭という戦場の英雄にふさわしい報いを与えます。
 
 ここで描かれている「有能な妻」は理想の姿です。自分の手であらゆるものを生みだし、家庭を切り盛りし、隣人を生かし、支えていく彼女の姿に私たちは驚かされるでしょう。確かに、こんな女性は実際にはいないでしょう。しかし、知恵を自らの歩みの中で体現していくとき、わたしたちも「有能な妻、夫」へと神の恵みによって自らが造り変えられていくことはできます。隣人を支え、生かしていく者として、さらには積極的に自らの手で何かを生みだしていく創造的な者として歩ませていただきたいものです。
 
<次回からは雅歌>