箴言10-22章に見る知恵の成長(2)

 このように、箴言10:1-22:16を読む時、知恵が深まっていく様子が示唆され、知恵が深まるために箴言の編集者が数多くの格言を賢明に編集していることがわかるだろう。しかし、「ソロモンの箴言」の前半と後半を見比べるとき、知恵の深まりが、他のいくつかの点でも見出すことができる。ここでは、二つの例だけを挙げておこう。
 まず、家族中心にはじめられた生き方が、友人の大切さも認める生き方へと深まっていく。箴言において、知恵が育てられる場は家庭である。たとえば、13:1を見てほしい。

「知恵のある子は父の訓戒に従い、あざける者は叱責を聞かない」(13:1)

父の訓戒を通して、つまり「父と子」という家族の関係から子どもは知恵を獲得していく。そして、知恵を獲得する者は、その知恵によって家庭を建て上げていく。

「知恵ある女は自分の家を建て、愚かな女は自分の手でこれをこわす」(14:1)

さらに、正しい者の家庭は、富に満ちあふれる。

「正しい者の家には多くの富がある。悪者の収穫は煩いをもたらす」(15:6)

このように、前半(10:1-15:33)では、知恵が家庭で教えられ、知恵によって家庭が建築され、そして知恵に満ちた家庭は繁栄という祝福をいただくことが、その逆の例(つまり、愚かな者たちの上に訪れる悲劇)と対比して述べられている。
 もちろん、後半(16:1-22:16)を見ても、知恵の教育において家庭の大切さは変わらない。たとえば、理想の妻を見出すことは大切である。家庭の土台であるからだ。

「良い妻を見つけた者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく」〔18:22〕

しかし、格言集の焦点は、家庭にとどまらない。なぜならば、後半に入ると友人関係のすばらしさが強調されるからだ。

「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる」(17:17)
「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる」(18:24)

知恵の成長において、家庭の重要性は否定できないし、知恵ある生活が家庭にもたらす祝福は後半も否定していない。しかし、友人関係のすばらしさも忘れてはいけない。対人関係の文脈という観点から見るならば、後半では前半で語られた内容が深められている。家庭は大切だが、友人も大切なのだ。
 「ソロモンの箴言」が前半から後半へと移るときに見られるもうひとつの変化は、貧困の理解に見出される。前半(10:1-15:33)では、なまけ者に貧困が訪れると理解されている。

「不精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ます」(10:4)
「貧乏と恥とは訓戒を無視する者に来る。しかし、叱責を大事にする者はほめられる」(13:18)

だからこそ、一生懸命に働くことが推奨されている。後半(16:1-22:16)でも、貧困は推奨されてはいない。しかし、貧困を引き合いに出すことにより、貧困よりも避けるべきものがあることが強調される。たとえば、高ぶりを避けるべきである。

「へりくだって貧しい者とともにいるのは、高ぶる者と共にいて、分捕り物を分けるのにまさる」(16:19)

また、曲がったことばも避けるべきである。
「貧しくても、誠実に歩む者は、曲がったことを言う愚かな者にまさる」(19:1)
貧しいことよりも、もっと大きな問題があるのだ。また、後半においては、貧困に陥る危険性を持った人々(寄るべのない者たち)を助けることの大切さも述べられている。

「寄るべのない者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶときに答えられない」(21:13)
「善意の人は祝福を受ける。自分のパンを寄るべのない者に与えるから」(22:9)

勤勉に働き、貧困から逃れるべきことが前半では強調されている。しかし、貧困という一点だけでその人を非難するべきではない。むしろ、貧困にある人を助ける積極性こそ知恵ある生き方である。また、たとえ貧しくあったとしても、人格的にすばらしい生き方は可能である。このように、貧困に関する理解が後半では前半よりも深められている。
 このように見ていくとき、「知恵における成長」が箴言10:1-22:16に示唆されていることがわかる。知恵を学ぶ初心者にとって、生き方については単純な○×式の理解からはじめなければならないだろう。また、家族中心という理解は当時の社会の常識だろうし、貧困を避けるために勤労に励むべきある。しかし、これらの内容を受け止めた者が、自らが収得した知恵をさらに深めることを忘れてはならない。なぜ良いのか、なぜダメなのかを考え、絶対してはいけないことと、避けた方が良いことの違いを知り、家族とともに友人の大切さを悟る。さらには、たとえ貧困の中にあっても、人格的にすばらしい生き方をすることは可能であることを覚える一方で、持てる人は寄るべのない者を助けることを忘れてはいけない。このようにして、「ソロモンの箴言」の後半で述べられていることは、その前半の箴言によって語られていることを否定はしていない。しかし、知恵の初心者でとどまっていてはいけない。
 中学生、高校生、青年の時代は、このような知恵における成長が深まっていく時である。わたしたち地震の知恵の深まりを経験すると共に、援助者として私たちの関わる人々の知恵の成長を助けるべきであろう。