箴言10-22章に見る知恵の成長(3)

II. 知恵の成長の要因
 それでは、知恵が深まるために必要なきっかけ、要因は何だろうか。何を知り、経験することによって、知恵は成長するのだろうか。続いて、知恵の成長の要因を同じ箴言から考えてみたい。
 「ソロモンの箴言」の前半(10:1-15:33)の一番最後に置かれている箴言をまず見てみよう。

「主をおそれることは知恵の訓練、謙遜は栄誉に先立つ」(15:33)

「主をおそれる」は箴言全体のテーマと言っても過言ではない。「ソロモンの箴言」の前半(10:1-15:33)には、主をおそれることの利得がいくつか述べられている。たとえば、長寿をもたらすこと(10:27)、避難所(14:26)、命(14:27)などがある。「主をおそれること」の重要性は、後半(16:1-22:16)でも継続して述べられている(たとえば19:23)。しかし、15:33は「主をおそれる」ことの利得が述べられているのではない。知恵の成長のために必要な訓練こそが「主をおそれること」と明示されているのだ。つまり、「主をおそれる」生き方を継続する時、その人の知恵は成長する。
 さらに、15:33において「主をおそれること」が「謙遜」と並べられており、二つの密接な結びつきが示唆される。事実、「ソロモンの箴言」のまとめとも思えるような位置におかれている22:4でも「主をおそれること」と「謙遜」が結びつけられている。

「謙遜と主をおそれることの報い、富と誉れといのち」(22:4)

つまり、祝福に満ちた人生を送るために必要なことは「謙遜と主をおそれること」である。
 「主をおそれることとは、主の語られる基準に従って善悪を見分け、それに従って生きることである」と考える方もおられるかもしれない。確かに、「ソロモンの箴言」の前半では、「主の嫌悪」と「主の喜び」という表現を通して物事の善悪が明確に示されている(たとえば、正しいはかり〔11:1〕、まっすぐな歩み〔11:20〕、真実なことば〔12:22〕、他に15:8, 9, 26も参照)。後半にも似た表現の箴言を通して、物事の善悪が示されている(16:5, 7; 17:15; 20:10, 23)。しかし、「主をおそれること」はそんな単純な生き方には集約されない。
 「謙遜」と聞くと、日本に住む私たちは人との関わりにおける謙遜を思い浮かべる。しかし、「主をおそれること」と対となっている「謙遜」は、人との関わりにおける謙遜に限定されない。箴言の言う「謙遜」の中心には、「主をおそれること」と結びつきの深い「主に対する謙遜」が置かれている。