日本の葬儀(その2)

 葬儀に関する具体的な内容を見ていきましょう。
 
(1) お通夜
 お通夜はお葬式の前夜祭ではありませんでした。本来は、死の確認のために行っていました。かつては死の判定が難しいため、完全に死んでしまったと思っている人が生きていた、というケースがあったからです。そこで、死体を見張り、死を確認するために、お通夜をしたのです。しかし、死体は恐ろしいものであり、ケガレを持ち、自分を死の世界へと連れて行くかも知れないと信じられていました。そこで、お通夜は、派手に陽気にされるようになったのです。
 
(2) 香典
 香典は、もともとは葬儀のある身近な家に食料をもって行く「食料香典」でした。しかし、大正期から昭和期にかけてお金にとって変わっていったといわれています。ただし、本来は、香典は、分家の人が本家にもっていくものです。そして、分家から持ってきた香典に対して、香典半返しという理解が生まれてきたのです。分家の葬儀は、当然、本家がその費用を持っていました。それが本家のあるべき姿だったです。親戚以外のもの、つきあいのある隣近所から香典をもって駆けつけることは江戸時代から始まったようです。しかし、香典返しはしませんでした。それは、その場でお返しをするということは、もう二度とつきあわない、と宣言しているのに等しいからです。香典返しなどしようものなら、村八分になっていたでしょう。この次向こうで同じようなことがあった時に、同じことをさせてもらうのが当時の本当のお返しだったからです。
 
(3) 焼香
 焼香は、基本的には、死体が臭いからそのにおいを線香で消すことが目的です。しかし、現在では、そこに様々な理由がつけられています。死んだばかりの霊魂の食物が香である、閻魔様の裁きの時に香が多くあるほど有利である、敬虔な心を仏前に捧げるなどが挙げられている。しかし、ひろさちやは、仏教においてさえ死者を拝むことは間違っている、拝むべきはご本尊だと言って、焼香を通して死者を拝む行為に苦言を呈しています。
 
(4) 数珠
 数珠はもともとはお念仏を勘定する数取り機です。念仏を一回数えるごとに、一個爪ぐり、これを百八回繰り返して、百八つの煩悩を消し去るわけです。ただし、念珠を繰りながら念仏を唱える習慣のない浄土真宗では、仏前での畏敬の念を表すために用いられていました。なお、玉の数が百八では多すぎるので、略式の数珠も出ており、多くの人が葬儀に持って行く数珠は、この略式のものです。
 
(5) 塩
 火葬から帰ってきたり、葬儀に出席した人に塩が渡される場合があります。これは、死体が穢れているので、そのケガレを払う意味があります。ただし、個人は穢れてはいない、と言って反対している浄土真宗の信者たちもいます。
 
(6) 遺骨
 日本人はお骨にこだわる民族のようです。ですから、火葬においても十分に注意深い温度調節がなされ、遺骨がきれいに残るように処理されています。一説によると、遺骨へのこだわりは20世紀初頭のいくつかの戦争において、死んでいった人々を丁重に葬れなかった痛みによって育てられてきたと考えられています。骨壷は長い年月の中でひび割れ、はみ出した遺骨がついには土に還るように、素焼きでできています。なお、遺骨やお墓へのこだわりがあるからこそ、最近は散骨が話題になります。ただし、遺骨はあくまで「遺体の処理」に相当するものです。ですから、遺骨への過度のこだわりは、日本的な「魂の処理」の部分をうすくし、宗教心を奪い去る危険性があると言う人もいます。
 
(7) 年忌法要
 年忌法要(一周忌、三回忌、七回忌、三十三回忌)は、仏教があとから制度的に付随させたものです。古来の日本人は次のような死後の世界観をもっていました。まず、死んだ直後を荒御魂(あらみたま)と呼び、その中でも特に荒れている状態を精霊(しょうりょう)と呼びました。これらの霊魂を鎮魂の儀式を通して鎮魂し、最後には和御魂(にぎみたま)となります。また、精霊と荒御魂の段階を「ホトケ」と呼び、和御魂になった霊魂を「カミ」とよびました。「仏」や「神」という感じをこれらの言葉にあてていますが、本来は日本古来の霊魂観であり、仏教や神道とは直接的な関係はありません。
 基本的に、死者がたたる、と思っている人が数多くいます。そこで、この怨念を鎮め、死人が自分たちに害を及ぼさないようにするために、何らかの形の供養をし、お供えの儀式をしてきました。
 死後四十九日または百日までの霊魂が一番荒れています。そこで、追善供養をする必要があります。生前の罪を滅ぼし、ケガレを払うのです。本来は、本人が生前に善行をつむことによってケガレの状態から脱するのですが、それができない場合がほとんどです。そこで、死後、子孫たちに善行を補ってもらう必要が生まれてきました。この善行を「追善」と呼び、それが現在の「追善法要」に結び付いています。ですから、亡き肉親の追善法要に熱心な人は、自分の両親が生前に善行をほとんど行っていないと理解していることを表しているのです。
 儀式として行われているのが、中陰の法要です。死んだばかりの霊魂は四十九日の間、宙ぶらりんの状態にあると考えられています。この期間を「中陰」と呼んでいます。この期間がすぎると、六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天界)のうちのいずれかの世界に生まれ変わり、輪廻転生するのです。そこで、七日ごとにお経を読み、魂鎮めを四十九日まで行うようになりました。ちなみに、本来の忌中(死のケガレのゆえに、他者との接触が禁じられている期間)は四十九日(または百日まで)です。あとは喪に服す(自発的に自らの行動を慎む)期間となります。よく「喪中」で年賀状などを出さない人がおられますが、他者との接触が禁じられている「忌中」でないかぎり、本来、問題がないはずです。
 なお、神道においては、死んだ霊魂がカミになるのに三十三年かかると考えています。そこから、三十三回忌という発想が生まれています。三十三回忌を過ぎれば、その魂はご先祖さまの集合霊、つまりカミとなります。それ以前の魂はホトケです。なお、お正月は、ご先祖さまの集合霊(つまりカミ)が家に戻ってくる時で、その目印となるのが門松です。ですから、ご先祖さまが迷わないようにその家独自の門松を立てる必要がありました。その一方で、お盆はまだカミになっていない「ホトケ」の集合霊が帰って来る時です。
 このように、様々な考えが交じり合って、様々な法事や追善供養の理論が生み出されてきました。さらに、寺は本末制度(本寺を頂点、底辺を末寺とするヒエラルキー)に縛られており、本寺に納める上納金を調達する必要がありました。そこで、檀家の葬式と法要を経済的基盤としたのです。実は、経済的な事情が、葬式と仏教の結び付きにはあるのです。
 
(8) 仏壇と位牌
 お葬式が済むと、仏壇が祀られ、そこに位牌が安置されます。位牌は、儒教の理解から生まれてきたものです。儒教では人は死ぬと魂(こん、精神をつかさどる神霊)と魄(はく、肉体をつかさどる神霊)に別れると考えていました。そして、魂は天の上りカミとなり、魄は地上に留まりオニとなります。そして、正しく供養された魂と魄は、合体し再生すると考えられていました。そのために様々な儀式が行われてきたのです。さらに、魂と魄の依代(よりしろ)、いわば結びあう場所として位牌が作られました。三十三年間祀られれば、和御魂(カミ)となり、もはや依代である位牌は必要がなくなります。
 仏壇は本来はご本尊を安置し、その下に位牌を置くものでした。そして、拝まれるのはご本尊であって、位牌ではありません。ところが、現実はご本尊よりも位牌が大事にされ、本来の仏教から離れて、儒教化してしまっているのが現実でしょう。