日本の葬儀(その3)

III. 日本の習俗について
 
 日本人の多くは、「自分は無宗教だが、宗教心はある」と言っています。ちょっと矛盾するようですが、これは的を得た表現です。なぜならば、日本人のほとんどが「ある特定の宗教・宗派には属してはいないが、自然宗教の信者である」からです。自然宗教とは「いつ、だれが始めたか分からない、自然発生した宗教」のことです。初詣に行き、お盆には故郷へ帰る、そんな行動が自然宗教の信者であるしるしであり、ご先祖を大切にし、村の鎮守に対する敬虔な心も自然宗教です。そして、盆や正月、彼岸、初詣などの年中行事を通じて、この自然宗教に同化していきます。ですから、日本人の九割以上の人が「うちは仏教です」と言っていますが、それは特定の仏教の宗派に属していることを意味してはいません。先に述べた、ある特定の寺の檀家であって、仏式によって葬儀や法要を行っているにすぎません。
 
1. 彼岸
 彼岸とは仏教で煩悩を脱した悟りの境地を指し示しています。そして、極楽浄土が西方の遥か彼方(彼岸)にあると信じられていましたので、真西に沈む太陽を礼拝して、この世界(つまり此岸)にいる人間が極楽浄土に思いをはせるのが、彼岸の始まりです。したがって、本来は生きている者のための時であり、布施、自戒、精進、禅定を行いました、した。しかし、それが、「極楽浄土」があの世と混同され、生を終えた祖先たちを思う時として定着しました。正月とお盆は無くなった人がこの世に来るので、こちらから会いに行く日になりました。そして、墓が彼岸と此岸の交差する場所と理解されるに至りました。
 
2. 厄年
 厄年は、病や災難にあう可能性が高い年齢を指し、男性では数え年で25歳、42歳、61歳、女性では19歳、33歳、37歳であると言われている(この背景には陰陽道があります)。肉体的、社会的に大きな変化を迎える年齢であると理解されてきました。そのために、厄払いを行い、神の加護を求めたのです。また、七五三(男の子は5歳、女の子は3歳と7歳)ももともとは厄払いと深い関わりがあります。なお、厄年は、これから村落共同体の様々な役を仰せつかる年でもあり、「役年」とかけられ、「役に付くからこそ、身を慎め」という意義もあると言われています。
 
3. 地蔵
 地蔵は仏教の菩薩です。しかし、地蔵信仰は日本において完成し、確立しました。地蔵は村の境界線または事故現場に建立される場合が多く、村とその外の境、生と死の境に置かれていました。そして、先祖のシンボルである道祖神と同じ丸い頭をしています。これらのことから、他界から侵入してくる怪しいものを塞ぐことが目的の「塞の神」として地蔵は理解されました。さらに、先祖との関わりから、子どもへ慈愛を示し、子どもを守る要素が反映したようです。
 
4. お札とお守り
 お札は、神社が配り、そこには神社と関わりの深い神の名前やその神を象徴するものが記されています。それらの神の守りを祈るものである。重荷、神棚に収められたり、門や柱に貼られて、その家庭を守るものと理解されている。その一方で、お守りは、個人が身につけるお札であり、個人的に神の利益を願うものである。
 
5. まじない
 まじないは、呪具・呪文・呪法などにより超自然的な存在の力を利用して、災いを取り除き、幸福を招く行動のことです。現代の日本人にとっては、お守り、たたり、おみくじ、厄払い、お経なども、まじないの働きをしています。また、子どもが転んで痛がっている時に、「いたいの、いたいの、飛んでいけ」というと痛みがとれたような気がする場合があります。しかし、これも一種のまじないです。また、いわゆるジンクス(英語のjinxは「悪運をもたらす者・人」という意味です)とよばれるものもそうです。