闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神

闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神

闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神

 上沼先生の本で、実は一番読みたかった本。
 レヴィナス村上春樹をヒントに、人間の心の闇とそこに隠れておられる神を知る、というもの。いろいろと考えさせられるところ多いものだし、神学とカウンセリングと哲学の交差点みたいな本。あいかわらず、同じことのくり返しようのな、ご本人の語りのごとき文章が続く。
 ご本人の論理的な神学に対する批判の目はあいかわらず鋭い。ちょうどレヴィナスハイデッガーを批判するかのようなものがある。身体性の重要さについての記述には、同じレヴィナスを師匠とする内田樹と通じるものがある。
 よい本だし、いろいろな人に読んで欲しい。それとともに、聖書学者の視点からの批評。上沼先生の聖書の読みは、避けてはおられるようだが、個人的な読みに入っていく。ダビデしかり、パウロしかり。しかし、パウロの「わたし」は本当に、現代人のわたしたちが考える「わたし」なのか。ユダヤ人全般をうけた「わたし」、あくまでも民族の語りではないのか。史的パウロと私たちの距離(史的ダビデとも)があまりにも近すぎるような気がする。そういう聖書の読みもあるが、それは結局、現代の人に向きすぎているのではないか、と危惧する次第。