真宗大谷派の葬儀

 twitterでも呟いたが、妻の祖母の葬儀にでて、その葬儀で学んだことをつらつらと。
 まず、葬儀は、帰敬(ききょう)式ではじまる。ここでは、死者が仏門に入り、得度する。そのしるしとして、髪にかみそりをうけて、法名を受ける。つまり、これからの葬儀は「僧侶」のための葬儀である。
 一般の葬儀。ここで一度、焼香をする。
 最後に灰葬式。これは、火葬場で行う式を事前に葬儀場で行う式。ここで一部の代表の方がもう一度焼香をする。
 興味深いことに、式の切り替わりで、ろうそくが変えられていた。つまり、葬儀が始まるまでのろうそくから別のろうそくに変えられて、帰敬式。そして、次にろうそくが変えられ、備えられていた紙の白い木が緑の葉のついた枝に変えられて、灰葬式。式の切り替わりが明確に示されていた。
 白い木が、灰葬式で緑の木に変えられる。その理由を聞くと、仏陀の死の際にすべての木が真っ白になった、という故事によるらしい。葬儀が終わったら、火葬の場では緑の葉のある木に変えるらしい。たしかに火葬場にはかならず緑の木が生けてある。
 ちょっとした観察だが、真宗大谷派の葬儀では、やはり、故人を僧侶に整えるための儀式を葬儀としていることが明確。ただし、これらの意味を知らない人にとっては、ここで執りおこなわれていることは、死者を鎮める呪術であるとしか見えないだろう。もともと、呪術的要素から始まった日本の葬儀に僧侶の葬儀を重ね合わせてできている「葬式仏教」の典型をみた気がした。これまでの自分の学びが、現実のものとしてみることができた、という意味ではよかった。
 なお、妻の祖母は95歳。まあ、大往生と考えていいだろう。家族のひとりびとりに、とくに最後の数年、一生懸命に世話をした方々の上に慰めがあるように、と祈っている。