クリスマスを思う

 日本に帰ってきて、九回目のクリスマスを迎える。毎年、感じているのだが、なんとなくクリスマスを迎えている気分がしない。なぜなんだろうか。
 日本において電飾をする人も増えてきた。そういう意味では、アメリカナイズされた。また、クリスマスの音楽もあるし、飾りもあるし、「イブだ、イブだ」と騒いでいる。でも、クリスマスを迎えている気分がしない。教会でもクリスマスのさまざまな集会をしている。それがクリスマスだ、と言われて、わかるのだが、クリスマスを迎えるという気分はしない。
 まあ、気分の問題であるから、それでいいのかもしれない。しかし、やはり、「町にクリスマスの雰囲気がない」のが、わたし自身がクリスマスを迎えている気分がしないのかもしれない。
 理由は何だろうか、と考えてみた。
 そのひとつは、日本においてクリスマスは「聖なる時間」ではないからのような気がする。「聖なる時間」、つまり特別な日であるという雰囲気を感じない。いつもとおなじような日が過ぎている。なんの変化もない。
 日本にも「聖なる時間」を感じさせる時はある。「正月」である。一月一日は、普通の日とは違う。
 はたして、日本において、いつ、クリスマスが「聖なる日」となるのだろうか。