仏教と日本人

仏教と日本人 (ちくま新書)

仏教と日本人 (ちくま新書)

 冠婚葬祭について考える一環で、読んでいる。
 阿満氏の中心的な論点は、日本に古くからあるものに仏教がうまく乗せられたという形があるということ。つまり、仏教本来が求めている苦に対する解決の問題が、うまくすり替えられて、日本本来の自然宗教に呑み込まれていった形がある。仏教の文化脈化、あるいはシンクレティズムなのだろうか。本来の仏教の息吹が生まれてきても、それが次第に自然宗教となっていくわけだ。そのような矛盾を抱えながら、日本人の宗教意識と仏教がある。地蔵に関する次の文章にまとめられる。

新しい宗教は、けっして教理どおりに伝播してゆくのではなく、受けての要求を満たしながら、しかし、まったく妥協に終わるのではなく、本来の目的を達成してゆくのである。本来の目的とは、この場合でいえば地蔵の「慈悲」であろう。村人は、地蔵を受け容れることによって、「慈悲」を具体的に感じとることができたのである。(35)

ある意味で、仏教本来が求めている苦に対する解決の問題はきっちりと日本に伝わっているとはいえない。だから、日本本来の自然宗教に呑み込まれた部分がないとはいえないし、すり替えられた部分もあるだろう。しかし、受けての要求という接点から仏教が文化脈化されたと阿満氏は語っている。そして、仏教のもつ本来の力が、息吹のように自然宗教の中に吹き込まれた、と言えば言いすぎだろうか。ある意味で、仏教の立場からの宣教論的な本だろうな。
 本書で阿満氏が取り扱っているのは、地蔵、地獄と極楽、僧侶の肉食妻帯、仏像、神仏習合、葬式仏教であり、どの現象についても、彼の中心的論点は成立しているようである。