硫化水素

 硫化水素による自殺が多発している。火山に行くと臭う、あの卵の腐った臭いの硫化水素である。ネットで調べたら、結構簡単に発生させる事ができるようだ。ホームセンターに行って、サンポールともう一つの材料を一緒に買ったら、きっと怪しまれるだろう。しかし、迷惑な事である。練炭による自殺と異なり、全く関係のない第三者も被害を受ける可能性が高いからだ。
 「死にたい」という気持ちが起こることは理解できる。死が現在の自分をあらゆる問題からの解決を与える解放者のほうに思えてくるのだろう。しかし、Tom Wrightの本を読んでから、もう一度考えてみた事だが、死は敵である。どれだけ甘く感じたとしても、死は敵である。打ち負かされるべき敵である。自殺するということは、自ら進んで敵の手に陥る事である。そして、死は決して美しくない。
 「死が美しくない」など言うと、「十字架の死は美しくないのか」と言われそうな気がする。他者のための犠牲の死は美しくないのか、と聞かれるかもしれない。他者のための犠牲は美しい。しかし、死は美しくない。「他者のため犠牲」という目的があるからこそ、敵の力が打ち負かされる。
 わたしたちは終わりの日が来るまで、死と言う敵に負ける。ある意味で敗北が定められているのが人間の現実である。しかし、全く希望のない敗北ではない。キリストの復活が、死と言うarch-enemyに対する勝利の希望なんだ。果たして、希望を抱きながら死を迎えるのか、それとも希望なしに死を迎えるのか。