ダニエル書

 
 ダニエル書は預言書と一般に考えられています。しかし、ヘブライ語の聖書では、本書は諸書に含まれています。それは、ヨハネの黙示録と同じ「黙示文学」に本書が分類されるからだと考えられています。将来起こる出来事が予告されてはいますが、それはあくまで象徴的な記述であって、様々な解釈の余地が残されています。それは、黙示文学の目的が、いわゆる予言ではなく、この世界の諸国はいかに強くとも、すべては神の御手の下にあり、終わりの時には神の国がこれらの国々にとって替わるという慰めと希望のメッセージを伝えることだからです。
 ダニエル書全体は、大きく二つの部分に分けることができます。バビロン、ペルシア両帝国に王宮においてダニエルとその仲間たちに起こった出来事を記録した前半(1〜6章)とダニエル自身が見た夢や幻を記した後半(7〜12章)です。なお、2:4b-7:28はヘブライ語ではなく、その親戚のアラム語によって書かれています。
 
I. ダニエルと王たち(1〜6章)
 ユダ族の出身であるダニエル、ハナニヤ、ミシャル、アザリヤは、まだエルサレムがバビロンに破壊される前に、バビロン王ネブカデネザルによってバビロンへ捕囚され、その王宮に仕えるよう命じられました(1:1-7)。そして、ダニエルの王宮での働きはペルシア王クロスの元年まで続きます(1:21)。青年の時から七十を過ぎるまで、当時の世界を治める列強の王の下にダニエルは仕えていたことになります。このような状況下にあるダニエルたちに降りかかったいくつかの出来事が本書の前半では綴られています。興味深いことに、これらすべての出来事を通して、異邦人である王たちがダニエルたちが信じている神を神として認めるに何度も至っています。
 1章では、ダニエルたちが主の律法を守るために、王の食物と王の飲む酒をとることを拒絶したことが書かれています。野菜と水だけの食事を十日間続けたダニエルたちは、王宮の贅沢な食事をとった若者たちよりも美しく、肥っていました。そして、知恵において彼らに勝る若者がいなかったことが記されています(1:8-20)。
 3章では、ネブカデネザル王によって建立された金の像を拝むことを義務づける勅令が発布されたにもかかわらず、三人の若者たちはそれに従うことをせず、像にひれ伏しませんでした。その罰として、彼らは火の燃える炉に入れられますが、「神の子のような存在」(3:25)によって助けられ、炉の火から守られます。これを見たネブカデネザルは三人が信じる神をほめたたえ、その神をののしる者を厳しく罰する勅令を発布します。
 4章ではネブカデネザルの見た木とその破壊に関する夢に関する顛末が記されています。ダニエルはそれを解き明かし、ダニエルの神である「いと高き神」がみずから高ぶる王に与えられた警告であると告げます。残念ながら王は自ら高ぶり、それゆえに気が狂った状態に陥ります。しかし、いと高き神に主権があることを認めた王は王座に回復されます。そのことを覚えて、彼はいと高き神に賛美を捧げています(4:2)。しかし、彼の息子であるベルシャザルは、自分の父に怒った出来事を覚えず、むしろいと高き神を軽視し、偶像の神々をほめたたえます(5章)。その結果、人の手の指が酒宴の真っ最中に現れ、壁に字を書き、来るべき裁きを予告します。ダニエルはその壁の字の意味を請われて解き明かし、天の主を軽視し、偶像の神々をほめたたえたベルシャザルの手から国が奪われると告げます。そして、そのことば通り、その夜のうちに王は殺され、メデアびとダリヨスが王権をとることとなります。
 6章では、このダリヨスの世に、国の総督として立てられたダニエルが、他の総督や総監たちに陥れられ、王以外の者(つまりダニエルの神)に祈ったゆえにししの穴に投げ込まれます。しかし、生ける神はダニエルを守られ、王はすべての国民にダニエルの神をおそれることを布告します。
 さて、これらと比較して、2章は少し異なっています。そこでは、ネブカデネザル王が見た夢そのものとその解釈をダニエルが解き明かしたことが記されています。天の神が異邦の王であるネブカデネザルにこれから起こるべきことを夢を通して知らされたのです(2:27-30)。像は四つの部分に分けられ、最初の部分はバビロン帝国、残りの三つの部分はそれに続く三つの帝国を表しています。四つ目の帝国の時に人手によらず切り出された一つの石に象徴される神の国が到来します。そして、それまでに立てられたあらゆる王国を神の国は砕き、永遠に世界を統べ治めます。この預言も将来の予告ではありますが、結論は、イスラエル神の国の到来の約束です。
 
II. ダニエルの見た幻(7〜12章)
 後半の部分は、ダニエルが見た幻が記され、その解釈がある人によって解き明かされる構成となっています。これらの幻を一貫して流れる思想は「この世界の王たちによって主の民は迫害を受けるが、歴史の主である神が終わりの日にはその王国を打ち立てられる」ことです。
 ベルシャザルの元年に見た大海から現れた四つの獣の幻(7章)は2章で語られた幻と共通点を多くもっています。「地に起こらんとする四人の王」、つまり、四つの帝国(7:17)が到来し、第四の獣、つまり第四の国からあらわれた王が「いと高き者」、つまり神に敵することばを吐くことが記されています。しかし、この王の主権は奪われ、神(「日の老いたる者」)がメシヤ(「人の子のような者」)にすべての権威を与えられると約束されています。
 8章ではベルシャザルの三年にダニエルの見た雄羊と雄山羊の幻が記されています。権力を象徴する大きな角をもったこれらの動物が象徴するのは、バビロンの後に世界を支配するメデアとペルシヤ、ギリシヤ(アレキサンダー大王)であり、その後に訪れるギリシヤの王アンティオコス四世によるユダヤ人迫害です(8:18-26)。しかし、そのような地上の支配者も、最後には主に滅ぼされることが、ガブリエルによって解説されています。
 9章では、エルサレムの荒廃が70年で終わる、というエレミヤの預言を悟ったダニエルのささげたざんげと回復を求める祈りが書かれています(ダリヨスの元年)。この祈りに応えて、ガブリエルが将来のことを幻のうちに解説しています(9:22-27)。エルサレムの再建、町を訪れる戦乱、油注がれた者(メシヤ)の登場と断絶、「荒らす者」の到来、終わりの日の到来が語られています。これらがどのような時期に起こるかの解釈は様々ありますが、はっきりしていることは迫害の後に主の日が到来する、という希望です。
 10〜12章は、ペルシャ王クロスの第三年にチグリス川の岸に立つダニエルが見た幻です。ここでは、終わりの日にユダヤ人に臨むことが告げられています(10:14)。幻の中にでてくるひとりの人(ガブリエル?)がミカエルと共にペルシャ王、続いてギリシヤ王と戦おうと出て来ます。その後、北の王と南の王の戦い、北の王が神殿を汚し、荒らす憎むべきものを立てること、繰り返される戦いの幻が綴られています。かなり細かいことが書かれており、ギリシア時代の出来事の予告であるとも理解されています。しかし、これから起こるべきことを予告することよりも、戦いの後、主から遣わされた君ミカエルが立ち上がり、民が救われ、死者の復活と裁きが行われる約束の提示こそこの箇所の主目的です(12:1-3)。困難は続きますが、主から救いが終わりの日に来るという約束をしっかり握って、困難と迫害の中を過ぎていくことが主の民に求められています。