説教のための覚え書き二題

 昨日、6月の説教について考えていた。普段はテキスト中心の説教だが、6月は二回、テーマ中心の説教をする。
 まず、ひとつめは聖霊について。聖書の箇所はとりあえずは創世記2:7。ただ、内容は、みんながわかっているようできっとわかっていない聖霊についての基本的な点を押さえる説教。ポイントは三位一体論的に構成する。まず一つ目は「聖霊は父なる神から出る」ということで、主なる神である聖霊、父から送られてくる聖霊。二つ目は「イエスをわたしたちに示す聖霊」ということで、イエスのかわりの助け主であり、イエスの臨在を現在のわたしたちに示す人格としての聖霊。三つ目は「命を与える聖霊」ということで、命の源であり、力の源泉であるということ。三位一体の神は、今は聖霊によってわたしたちに働いておられる、という点を。
 もうひとつの説教は、「めぐみを妨げるもの」の話。めぐみを妨げるものと聞くと、「罪」と簡単に答えてしまうが、罪が影響を及ぼすものがどれほど大きいのか、それを考える。ちなみに、律法さえも罪ゆえに「めぐみを妨げるもの」となっている点を覚える時、罪の力のすさまじさをわたしたちはどれだけ認識しているのか、考えさせられる。そこで話す内容は、まず「社会一般であたりまえと思われているものでめぐみを妨げるもの」。成功主義、個人主義、競争主義などなど。人々が当たり前だと思うものを当たり前だと思っているうちは、神のめぐみを受け止めることができない。もう一つは、「家庭のひずみがめぐみを妨げている」ということ。家庭の中での関わりが歪められているため、神のめぐみが妨げられてしまっている。Whitemanが言っていた、狼少女(?)の話と絡めて。ただ、めぐみを妨げるものが多くある現実を覚えつつ、イエス・キリストの十字架によって神の子とされる、「もうすでに神の子である」と言われる神のめぐみに目を向けることによって話をまとめようとは思う。
 ある面、テキストに則った説教は、作りやすい。テーマは、作りにくい。