民数記

 民数記と言う名前は、1章ならびに26章に書かれているイスラエルの人口調査から来ています。最初の人口調査はシナイの荒野において行われ、「すべて戦争に出ることのできる二十歳以上の者」(1:3)の数は603,550人でした(1:46)。そして、二回目の人口調査は約束の地を目前に控えたモアブの平野において40年ほど後に行われ、601,730人を数えました(26:51)。人口そのものはほとんど変化はありませんでしたが、ひとつ大きな違いがありました。それは、最初の人口調査で数えられた人のほとんどが二回目の人口調査では死んでしまっていたことです。このことからわかるように、民数記は世代交替、つまり古い世代の死と新しい世代の誕生を綴った書です。更に、民数記は放浪の書と言うこともできます。シナイにおいて律法をいただいたあと、イスラエルはモアブの平野に到着するまで、荒野を40年放浪したからです。なぜ世代交替が起こったのでしょうか。なぜイスラエルは40年間荒野を放浪したのでしょうか。
 
I. シナイにおいて(1:1-10:10)
 民数記は、すでに述べたように、シナイの荒野における人口調査から始まり(1章)、会見の幕屋を中心にして、各部族がどのように宿営すべきかが命じられています(2章)。続いて、アロンとモーセの一族、つまり祭司の職に任じられたアロンの一族と幕屋での様々な働きを司り、祭司と民衆との間をとりもつレビ人の名前が記されています(3〜4章)。幕屋における礼拝に直接的に関わるのが祭司であり、その一方でレビ人は幕屋における種々の奉仕についていました。主はレビ人を「イスラエルに生まれたすべてのういごの代わり」(3:13)と考えておられました。本来はすべてのういごは主にささげられた特別の存在であり(過越を参照のこと)、主のものとして主に仕える働きにたずさわべきです。しかし、主はレビ人がその代わりを果たすように導かれました。ですから、レビ人は、特別に選ばれた、主の所有の部族なのです。しかし、イスラエルの民たちも主の所有の民として歩まなければなりません。ですから、祭司とレビ人についての記事に続いて、民が主の前に汚れずに歩むための律法(汚れ、隣人への罪、姦淫の疑義、ナジル人)が記されています。そして、アロンの子たちが祭司として、主の祝福、特に主の平安をイスラエルの民に取り次ぐ祈り(6:22-27)によって、この部分は閉じられます。さらに、人口調査(出エジプトの次の年の二月)が行われる以前の出来事(7:1-10:10)が綴られています。これらの出来事を通して、イスラエルの民は主と共に約束の地へと旅立つ準備が整えられました。
 
II. シナイからモアブの平野へ(10:11-21:35)
 第二年の二月十日、イスラエルの民は主の導きに従って、シナイの荒野を出て、約束の地へ旅をはじめました(10:11-36)。しかし、この旅の中で、民は主の激しい裁きを経験していきました。
 民は数多くのことで主につぶやきました。主が与えられたマナに満足できない寄り集まり人たちとイスラエルの民は、肉が食べたい、エジプトの生活の方がよかった、と泣き叫びました。そこで、つぶやく民という重荷に耐え切れないモーセの願いに応え、共に重荷を負う七十人の長老を主は与えました。さらに、肉を食べたいという民の願いに応えて、数多くのうずらを主が備えました。しかし、主の力を信じていない民の上に、主の激しい憤りがのぞみ、疫病によって民は撃たれました(11:4-35)。「主の手は短い」(11:23)と誤解し、主がすべてのものを備えてくださると信じていなかったからです。モーセの兄弟であるミリアムとアロンも例外ではありません。彼らのつぶやきの結果、主はミリアムを撃たれました(12章)。
 主に対する民の反抗はパランの荒野のカデシにおいて最高潮に達します。カデシに滞在中、モーセはカナンの地を探るために十二人の精鋭を偵察に送りました。そして、四十日の後、彼らはその地のくだものを手土産に帰還します。帰還した偵察隊たちは、約束の地が「まことに乳と蜜の流れている地」であること、しかし「その地に住む民は強く、その町々は堅固で非常に大きい」ことを報告しました(13:27-28)。この現実を受けて、偵察隊のひとりであるカレブは「すぐに上っていこう」と提案しましたが、他の人々はその地は人々を滅ぼる地であると悪評を述べました。民はカレブの言葉には耳を傾けず、「エジプトで死んでいたらよかったのに」と主につぶやき、エジプトへ帰ろうとしました。むしろ、「主がよしとされるなら、主はそれをわたしたちに下さる」と主に従うように訴えるカレブとヨシュアを撃ち殺そうとしました。
 これに対して、主は怒り、イスラエルの民を滅ぼす、とモーセに伝えました。しかし、モーセは主の名がエジプト人の間で汚されること、そして主のいつくしみに訴えることにより、民のゆるしをねがいました。主はモーセのとりなしに答えられ、彼らをゆるされました。しかし、カレブとヨシュア以外の二十歳以上の者(古い世代)が死に絶えるまで、四十年の間、民は荒野を放浪することを宣言されました。さらに、主につぶやいた人々を疫病によって撃たれたのです(13〜14章)。
 イスラエルの四十年の放浪の原因は、主にあるのではなく、主が民に与えられた幕屋における諸儀式にあるのでもありません。すべてのよきものを備えてくださる主を信頼せず、従わなかったイスラエルの民自身に原因がありました。しかし、主の約束が反故にされた訳ではありません。古い世代は確かに死に絶えますが、新しい世代は約束の地へ入ることができる希望があります(たとえば15章参照)。
 残念ながらイスラエルの反逆はここで終わりませんでした。イスラエルのつかさたち、さらにはイスラエルの民全体がモーセとアロンに対してつぶやきます(16-17章)。さらに、モーセさえも、イスラエルの民の前で主の聖なることをあらわさなかったゆえに、民を約束の地へ導き入れることができなくなります(20:1-13)。アロンも死に、その子エレアザルが祭司として任職されます(20:22-29)。その一方で、新しい世代はアモリびとの王シホンとバシャンの王オグを撃ち殺し、約束の地へとはいっていく希望が徐々に現実となってくるのです(21:21-35)
 
III. モアブの平野にて(22:1-36:13)
 イスラエルの民はついにヨルダン川をはさんだエリコの向かい側にあるモアブの平野に到着しました(22:1)。イスラエルに脅威を感じたモアブの民とミデアンの民、特にモアブの王であるバラクは、ベトルのバラムにイスラエルを呪うように依頼します。主はバラムにバラクの下に行くことを一時禁じますが、バラムの目が主に開かれた後、それを許可されました。バラクはバラムに主に伺いをたてるように三度願いましたが、三度ともバラムはイスラエルを祝福しました。そして、四度目では、バラム自らがすすんでイスラエルの祝福とモアブを撃つ王の到来を預言しました(22-24章)。このように、イスラエルの新しい世代は主の祝福を確かにいただいた民であることは諸国民の間でも明らかになります。バアル・ペオルにおける反乱を最後に、古い世代は死に絶えます(25章)。そして、迎えた二度目の人口調査で、新しい世代が数えられるのです(26章)。
 27章以降は、新しい世代が約束の地に入るための諸準備がしるされています。まず、モーセに続く指導者としてヨシュアが任命されます(27章)。約束の地で守るべき祭りや誓願についての規定(28-30章)の後、ミデアンに対する勝利が記録されています(31章)。ルベン、ガド、マナセの半部族への土地分配がなされ(32章)、出エジプトから荒野での放浪の旅程が記されて(33章)、民数記は終わります。約束の地まで、あとわずかです。