創世記1〜9章 

 創世記は天地創造の記事(1:1-2:3)をプロローグとし、そのあとに「これらが〜の『系図』(ヘブライ語で『トレドート』)」という表現ではじまる10の部分からなっています。今回は創世記のプロローグとそれに続く3つの部分(2:4-4:26; 5:1-6:8; 6:9-9:29)を概観してみましょう。
 
I. プロローグ(1:1-2:3)
 聖書全体はまず神による全世界の創造の記事からはじまります。神は六日で天と地とそれに満つるものを造られました。前半の三日間で光(第一日)、大空(第二日)、かわいた地と地の青草(第三日)、後半の三日間で天の大空で地を照らす二つの光(第四日)、海と天を満たす生物たち(第五日)、そして地の生き物と人が男と女に(第六日)造られました。そして、第七日には全ての作業を終わって、天地創造の神は全ての仕事を休まれました。
 天地創造の記事で特に心に留めておくべきことが二つあります。まず、神はただ言葉を語ることによって天地を造られた点です。全てはただ神による、秩序正しいみわざです。ですから、造られた全てのものを「神は見て、良しとされた」(1:4, 10, 12, 18, 21, 25, 31)のです。もう一つの点は神は全ての造られたものを祝福しておられる点です(1:22, 28)。男と女との対で造られたわたしたち人間も神の祝福の下にあります。
 
II. 最初の家族(2:4-4:26)とその子孫たち(5:1-6:8)
 天地創造の記事に続いて、男と女の創造と彼らの家族に起こった出来事が描かれています。
 最初の人は、主が土のちりから造られた存在でした。そこに命の息が吹き込まれたゆえに、生きるものとなりました(2:7)。そして、彼はエデンの園におかれ、そこにおいて園を耕し、守る使命が与えられていたのです(2:15)。しかし、男一人という孤独な存在を主なる神は見られ、「すべてが良い」と言われたこの世界にあって唯一「良くない」と言われました(2:18)。そこで、彼のふさわしい助け手として、女を男のあばら骨から造られたのです(2:22-23)。ここに世界最初の家族が誕生しました。主なる神は彼らのあらゆる必要をすべて備えておられたのです。
 ところが、この最初の夫婦は主が与えられた戒めを自ら進んで破ると言う罪を犯し、主に対して反逆しました。主の命令に矛盾する狡猾な蛇の誘惑の言葉に乗って、エデンの園の中央にある「善と悪を知る木」から彼らはとって食べたからです(3:6)。その事を知られた神は、最初の家族に裁きを宣告されました。その裁きとは、彼らの背きの結果、男女間に不和が生まれ、激しい労働と死とが彼らを訪れるというものでした(3:16-19)。さらに、主なる神は人(アダム)とその妻エバエデンの園から追放しました(3:23)。
 しかし、最初の家族の悲劇は続きます。アダムとエバに二人の男の子カインとアベルが与えられました。ところが、この二人が主に供え物をした時、兄カインのささげものは顧みられず、ただ弟アベルのものだけを主は受け入れられました。この現実に憤ったカインは、主の制止の言葉にも耳を傾けず、アベルを殺してしまいます。そして、殺人者カインは主がエデンの園のそばに与えられた地からも追放され、地上の放浪者となってしまいました(4:1-16)。
 このように、神の祝福と恵みの賜物によって創造された最初の家族は、自らすすんで主の声に反逆し、自らの上に厳しい裁きを招いていきました。残念ながら、神への反逆の現実は最初の家族だけに留まりませんでした。アダムに与えられた三番目の男の子であるセツがその家族を継いで、その後、人々は地の表に増え広がっていきましたが(5:1-32)、人類の広がりは同時に神への反逆の広がりでもありました。「人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかり」(6:5)となったからです。そこで、神は大きな裁きを下す決心をされたのです。人だけではありません、あらゆる創造物に対する裁きでした(6:6-7)。
 祝福ではじまったはずの人類に待ちかまえてたのは神への反逆であり、それに伴う裁きでした。しかし、そのような状況にあったとしても主なる神の祝福が消え去ることはありません。裸の二人に皮の着物を与え(3:21)、カインを復讐する者から守り(4:15)、罪と裁きと骨折り苦しむ時代の真ん中で「慰め」という名のノアを与えられた(5:29)のはすべて人類が反逆していた神ご自身だからです。一見、神への反逆の歴史と思えるようなことが続きますが、実際はその反逆さえも乗り越えていく、神のあわれみと祝福の歴史が聖書には描かれているのです。そのことは次に続くノアの時代の出来事にもあざやかに表されています。
 
III. ノアの時代の洪水(6:9-9:29)
 地が乱れ、暴虐が地に満ちた時、神は「すべての人を絶やそうと決心」されました(6:13)。しかし、そのような時代の中で「正しく、かつ全き人」であったのがノア(6:9)です。そこで主は自分に対して反逆を続ける人類を滅ぼしさる一方で、ノアとその家族は例外であり、そこから救い、彼らと契約を結んで新しい時代をはじめようと決断されました。そして、ノアとその家族、さらに全ての生き物のひとつがいを救うために、箱舟を作るようにノアに命じられました。主が命じられたようにノアが箱舟を作った時、洪水が地に起こりました。天の窓が開けて、雨が四十日四十夜続いたからです。そして、箱舟にいたもの以外の全ての地の上を動く息あるものたちはすべて滅びてしまいました(6:6-24)。
 洪水の水は一年間かれることはありませんでした。しかし、ついに地が全くかわいた時、神はノアに箱舟から外に出るように命じられました。そして、箱舟によって生き延びたものたちが新しい世界で増え広がるようにと語られました(8:15-18)。神はもう一度、ノアとその子たちを祝福し、彼らと彼らと共にいるすべての生き物と契約を結ばれました。それはもう二度と洪水によって彼らを滅ぼさない、という約束でした。そして、その約束のしるしが虹です(9:1-17)。そして、その後、ノアの子であるセム、ハム、ヤペテから、全世界の全ての民が誕生するのです。
 祝福ではじまった世界でしたが、繰り返される神に対する反逆のゆえに、人類は繰り返し裁きを経験しました。この裁きは神に対する反逆に対してふさわしいものであったでしょう。それでは、反逆する者に対して裁きを与える神とは、ただの厳罰を与えるだけの存在なのでしょうか。そうではありません。どれだけ人が反逆を繰り返そうとも、神は必ずそこに祝福を注いでおられます。創世記五章に記されている人類の系図は、人間の反逆の歴史の記述ではありません。人の罪にもかからわず恵みと祝福と新しい可能性を開き続けてくださる神の恵みの歴史の記述です。現在、わたしたちが生き、歩むことができるのは、自らに反逆するもにさえあらわされる、神のあわれみと祝福の故であることを覚えてましょう。