知恵に関する結論(伝道の書8:9-17)

 6:10から知恵についての議論を進めていたコヘレトですが、8:9-17において知恵についての結論を述べています。それは同時に「生きている間に見いだすことができる良いものは(しあわせ)は何か」という疑問に対するコヘレトの答えでもあります。

I. 不正のはびこる現実 
コヘレトは、その観察を通して、この世界において正義は現実とはなっておらず、むしろ不正が行われていることを見いだしました。ですから、彼は今が「この人がかの人を治めて、これに害をこうむらせる」時であると認識しています(8:9)。つまり、権力者によって不正が行われ、弱い人々が食い物にされているのです。
 それでは具体的にはどのような現実をコヘレトは見いだしのたのでしょうか。まず、悪人と考えられる人が丁重に葬られ、聖なる場所である神殿に出入りし、人々の称賛を受けている現実を上げています(8:10)。本来ならば、悪人は人々から非難され、神の祝福の場である神殿から追い出され、死後の平安なしに過ごすべきです。しかし、それが現実になっていません。「悪しきわざに対する判決がすみやかに行われない」からです(8:11)。悪しきわざを悪しきわざとして断罪されるならば、人々はそこから離れるでしょう。しかし、それが行われていないから、人々は継続して不正を行い続けるのです。権力を持つものが公正と正義を行っていないから、そのようが現実が蔓延るのです。さらに「罪人が百度悪をなして、なお長生きするものがある」(8:12)ことをコヘレトは上げています。悪に対する裁きが遅延されています。悪への裁きの時がまだ来ていません。コヘレトは悪に対する裁きがあることを信じてはいますが、裁きが現実とはならないので、つぶやかざるを得ないのです。このコヘレトのつぶやきは8:14においても記されています。義人にふさわしい報いが与えられず、むしろ悲惨な目にあうこと、さらに悪人にふさわしい罰が臨まず、むしろ祝福が注がれている現実をコヘレトはここでも憂えています。
 賢者であるコヘレトは、公正と正義がこの世界において現実になることを望んでいます。そして、正しい道を人々が選ぶように、と願っています。しかし、現実にはそうではありません。日の下で行われているあらゆることに心を用い、時間をかけて探求した結果、コヘレトはこのような悲惨な状況しか見いだすことができませんでした。

II. 神をおそれ、喜びの賜物を味わう
 正義が現実とならない世界からコヘレトは目を背けてはいません。それと同時に、そのような世界に生きている者として、賢く生きる二つの秘訣も示しています。そして、この秘訣に則って歩む者こそしあわせなものだと彼は示唆しています。
 まず、神をおそれる生き方をすることです(8:12)。どれだけ不正と圧政がはびころうとも、最後まで神をおそれ、神の主権の下に生きる一介の被造物であるという自覚をもつことこそ、しあわせに生きる秘訣です。その一方で、神をおそれない生き方は悪しき者の生き方です(8:13)。もちろん、悪しき者への裁きが遅延されていますから、彼らは長生きをするかもしれません。しかし、神はふさわしい時に、悪しき者にふさわしい裁きをされます。その時がいつ来るのかはわかりませんが、必ず訪れます。コヘレトは神の裁きの現実を知っているからこそ、神をおそれない、悪しき生き方から離れるように人々に勧めています。ただし、神をおそれる生き方とは、正しく、賢く生きることと全く同じではありません。7:16-18ですでに述べたように、神をおそれる者は、正しく、賢く生きつつも、その生き方が成功を保証しない現実を知っているからです。つまり、神をおそれる生き方とは、知恵に生きつつも、その限界を覚えて生きる生き方です。
 この地上でしあわせに生きる上で、コヘレトがすすめているもう一つの秘訣は、神が与えて下さる喜びと楽しみを味わうことです(8:15)。日々の歩みと労苦は決して楽なものではありません。また、いつも正当に報いられるとは限りません。しかし、今、神が賜物としていのちを与えて下さっているこの時を、そして神が賜物として備えて下さっている喜びのひとときを無駄にしてはいけません。
 ここで勧められている二つの秘訣に共通することは、神の主権です。神が絶対的な王であることを認めて、その権威の下にひざまずき、さらにこの王である方から戴けるいのちとよろこびを精一杯味わうことこそ、しあわせに生きる秘訣です。なぜ、コヘレトはこのようなことを語るのでしょうか。それは、神の前に人の知恵や力は限界があるからであり、さらに今はその神が不正をそのままにしておられる時だからです。神がみこころのままに「時」を変えられる可能性はいつでもあります。しかし、どのような知恵も権力も神のされることを変えることはできません。ですから、この世界で最大の力を持っておられる方を王として仰ぎつつ、その方から与えられているもの(いのちやよろこび)を精一杯味わうことこそ、しあわせの秘訣なのです。

III. 全権者を完全に理解することはできない
 現実を認識し、そのような世界で生きる秘訣を述べたコヘレトですが、彼は決して知恵によって全てを知り得たのではありません。彼は確かに心を尽くして知恵を探求し、この世界で行われていることを昼夜、寝る間も惜しんで窮めようと努力しました(8:16)。しかし、彼は将来のことだけではなく、「日の下に行われるわざを窮めることはできない」ことを見いだしています(8:17)。この世界に起こっている出来事には多くの秘密が隠されています。そして、どれだけ知恵を使い、知恵を蓄え、それらの秘密を見きわめようとしても、人はそれらを見きわめることはできません。なぜならば、神のなさることを人が知り尽くすことはできないからです。
 人間にはこのような限界があります。だからこそ、コヘレトは全権者をおそれ、人間の限界を知りつつ生きることをすすめています。まさに知らないことがたくさんあることを知っている知者であるからこそ、その限界を受け入れてすすむことができるのです。わたしたちも自分の知恵と力の限界を認めて、主権者である神が今与えて下さっている賜物を喜びつつ、毎日を歩ませていただきましょう。