光市母子殺人事件

 被害者の人権と加害者の人権。加害者の人権は守られなければならない。なぜなら、加害者は強力な権力の下にあるからこそ、権力からその人を守るために、加害者の人権は守られるべきである。被害者の人権も守られるべきである。被害者がそれ以上被害者になるべきではない。これ以上傷つかないように、守られるべきである。
 現行の、日本の法律の下で考えた時、死刑という量刑が存在し、それに対しての判例が蓄積されている範疇において、実行されるべきであろう。日本という国家は「クリスチャン共同体」ではない。従って、クリスチャン共同体に求められる基準を当てはめるのは適切でないと思う。もちろん、わたしは死刑は廃止すべきだと思う。しかし、現行の法規の範囲内では、死刑は認められているから、司法の世界では死刑が存在することを認めざるを得ない。その一方で、クリスチャンである「あなたならどうするのか」という疑問を投げかけられた時、いろいろなことを考えさせられる。
 被害者の夫は「復讐」さえも許容している。復讐をゆるしたならば、「悪をもって、悪に報いる」行動をゆるすこととなる。クリスチャン共同体の一員として、わたしはこの行動には賛同できない。復讐をゆるした時、Volfが語るように、世界は破滅へと向かっていく。事実、今、アメリカとイラクの間で破滅への連鎖が続いている。
 それと共に、被害者の夫の顔を見るたびに、彼のうちに燃え続ける憎しみと憤りが見えてくる。憎しみと憤りのゆえに、ここまで彼は来ることができたのだろう。しかし、この憎しみと憤りは彼自身を蝕んでいるのも事実ではないだろうか。そのことを覚える時、つらくなる。そして、ゆるすことができない相手をゆるすことを通して、彼も癒されれば、と願う。でも、できないだろう。