教育の機会均等

 だれでも教育が受けられる、ということを考える部分。
 まず、現行法。

(教育の機会均等)
第3条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
2 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

 続いて、自民党案。

(教育の機会均等)
第4条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
 2 国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
 3 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

 ことばの微妙な違いはある点を除けば、自民党案には障害者に関する部分が追加されている。しかし、日本語としては分かりにくい。「障害の状態に応じ」はどこにかかるのか。「障害の状態に応じて、十分な教育を受ける」のか、「障害に応じて教育上必要な支援」なのか。読点をあえて入れていることから推測して、後者だと思う。更に、前者で取ると、「障害の程度に応じて受けるべき教育は変わってもいい」という風にも理解でき、「かれは〜の障害だから、ここまでしなくてもいい」という風にも取られかねない。多分、後者で、障害の度合いが高い人に対してはより多くの支援を講じる、という意図だと思うのだが。文部省の役人は、あんまり日本語が上手くない。
 それにしても、「能力に応じた教育」とはどんなものだろうか。現在の日本の現実を考える時、「金持ちは高学歴、貧乏人は低学歴」という現実が具体化しつつある。その結果、いわゆる上級か下級かが固定化されはじめている。かつては、貧しくても高い学歴をもつことができるようになっていたが(たけしの兄貴など)、現在はだんだん不可能になってきている(東大の学生の親の所得がたいへん高いという現実を見よ〕。この「能力に応じた教育」が現実となるのはいつのことだろうか。いや、それを可能としようとしているのだろうか。