2012年を振り返って

 ことし最後のポストです。
 今日の祈祷会で、一部だけ話してきた内容。
  
 2012年の出来事の中で、私の「今」に一番のインパクトを与えたのは、仁科真人の召天です。2010年の11月にすい臓ガンの第四期と診断され、それから一年半の闘病生活でした。彼の最後の半年、彼と会ったのは数回だけでしたが、それが今も深く心に語りかけています。
 彼は徹底的ないやしの信仰に立っていました。そして、早苗夫人がくり返し語られたように、召天のその時まで、癒される、と信じて、歩んでいました。「直って、一緒に伝道に行くぞ」と言っていました。昨年末に彼に会ったときには、腹水がかなり貯まっていました。そして、最後に生きている彼に会った四月の終わり、彼はやせ細った、骸骨ような姿でした。その中でも、自分はいやしの信仰に立っている、そしてその信仰に立っていない人とは会っても話ができないんだ、と語っていました。
 私はドライに物事を考える人間です。いやしを信じていますが、現代医療が下さす診断にそれなりの信頼をおいています。すい臓ガンで腹水が貯まれば、もう死期は近い。あれだけやせこけていたら、あと少ししか地上でのいのちはない、そうすぐに計算できる人間です。ですから、彼の信仰を尊重しつつも、そして彼のことばを受け入れつつも、いつももうあとわずかしかない、と感じてきました。ですから、彼と話すとき、違和感を感じつついました。正直な話です。
 ですから、今年の四月の終わり、彼と最後にあったときも、そんな違和感を感じつつ、自宅へと戻りました。その中で、思いを馳せたのは、次のみことばでした。「しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。」復活のキリストの栄光が輝いている、そう感じました。そうだ、彼をこの一年半、生かし続け、彼の死のために彼自身のみならず、家族を、教会を備えさせたのは、復活のキリストの力なのだ。あと半年の寿命と言われたのに、顔が死人のような土色になっていたのに、それでも一年半、彼を生きながらえされたのは復活の力なのだ。それこそが、実は神のいやしである、復活の栄光が死ぬべき身体に、いや死ぬはずの身体に輝いている。そんなことを覚えました。終わりの日の復活の栄光を、実は仁科真人の死期に私は垣間見たのです。
 でも、まだ、いやしの信仰について、すっきりとしないところがありました。でも、6月9日のブログに次のように書いています。
 
 昨日、今日の早天の準備をしているときのこと。聖書はマタイ8章であった。7章の終わりから、メシアであるイエスの権威についての物語が続いている箇所。そして、ローマの百人隊長の信仰が語られていた。それを読みながら、ここでの「いやしの信仰」とは、「癒されることを信じる信仰」ではない。「神の国をもたらすイエスには、病を癒す権威がある」という信仰である。イエスはすべての被造物に対して権威をもっているという信仰である。そのことを覚えたとき、死の直前まで持つことのできるいやしの信仰、来るべき死が遠くないと思いつつ、しかし立ち続けることができるいやしの信仰がここにある、ということを感じた。そう、イエスは「天と地における一切の権威を与えられた」王である。この方がいやしを命じたなら、どのような病をも癒しうる権威を持つ。そんな信仰がある。そして、そのような信仰に立っている限り、明日、自分のいのちがなくなるかも知れないような状況であったとしても、いやしの信仰に堅く立ちうる。
 理屈で収めてしまう気はない。でも、なんとなく、いやしの信仰の片鱗を自分なりにわかってきたのかも知れない、という気がした。それでも、彼がわたしに残してくれた宿題は、まだまだ続くだろう。
 
 神学というのは、単なる知的営みなのかも知れない。しかし、ひとりの人が文字通り「いのちをかけて」生きてきた信仰を、ことばにして、深めていく作業も、その人の信仰を通して神がより多くの人に語りかけるために必要なのかも知れない。
 
 さて、他には、した事。
 2012年度は、聖書飜訳の作業を夏休みに集中して行いました。9章分ほどの改訂作業ができたかなと。まあ、小さな一歩に過ぎません。それから、ブルッゲマンの『預言者の想像力』の飜訳を今年後半から集中して行っています。第一塙ができ、第二稿の作成中。一月中には編集者に送りたいと思っています。
 自分が関わったこととして、『神の宣教』の第一巻が出版されたこと(6月)。そして、『ケープタウン決意表明』も出版されました(4月)。前者は一部、飜訳をしました。後者は宣伝が中心ですが。ただ、2011年の春から始めていた、『ケープタウン決意表明』の学びのノート作成が、あと一回、「おわりに」の部分までとなっていますから、そういう意味では貢献してきました。
 2012年は結構、アカデミックな面での文章を書き、発表しました。6月には旧約聖書と飜訳について、七十人訳を中心に、Tovの論文からバイブルハウスで話をしました。それから、10月には福音主義神学校協議会で旧約聖書における宣教について、クリストファー・ライトの『神の宣教』と対話しつつ、話をしました。そして、11月には日本福音主義神学会西部部会で、パウロ研究の新しい視点について、特にN・T・ライトの提案について、話をしました。最後のが一番、インパクトがあったようですね。12月の終わりも、若手の牧師たちと、再度、学び直した次第です。それから、ATAの韓国と日本の神学研究会で、ちょっと訳のわからん韓国の人の論文に無理矢理レスポンスをしました。久しぶりの英語での発表でしたが、なんとかなったようです。
 すこし、アカデミックの匂いはしますが、派遣という観点から、教会の宣教についての文書を書き、それをある教区で、そしていくつかの教会で話をさせていただきました。ケープタウン決意表明のもつ視点を、もう少し、一般に広めていく働きがあるようです。それから、月刊ベラカで連載を続けています。そして、自分なりの「大きな神の物語」をまとめることができました。これは、これから使います。
 
 最後に、神学校と教会。神学校は校長代行が替わる、ということで、以前に増して自分の責任が増えてきました。教務とアドミニストレーションの負担が大きいです。授業も多かったので、たいへんでした。学生数が減っているのが、残念。来年はどうか、と祈っているしだいです。ただ、数年していなかった特別セミナーを開いたり、クリストファー・ライトの講演会に学生を連れて行ったり、また学内クリスマス燭火礼拝を公開にしたり、と変化は出て来ています。教会ではほとんど「教育担当協力牧師」というような肩書きを頂いたようで、教会学校の教育、教会学校教師の教育、そして教会の信徒の教育、といろいろとさせていただきました。これは来年も続きそう。説教は少なめですが、他の負担が増えてくると思います。来年は主管牧師は教団委員長になりますから、結構、仕事がわたしも増えそうで、戦々恐々です。
  
 家族は元気、みんなばたばた、でした。私は体重を減らさなければならないようです。2013年、身体を動かして、がんばります。