呪いの時代

呪いの時代

呪いの時代

 気になった表現をいくつか。
 「努力する事へのインセンティヴを傷つけるというのが、社会的差別のもっとも邪悪かつ効果的な部分なんです」(34)。
 「彼らが『自分捜し』というときに捜しているのは実は『自分』ではない。彼らが捜しているのは、『彼らの欠如感、不充足感を満たしてくれるような他者です」(41)。
 「ですから、武道的観点から言うと、『問題に正解しなければならない』という発想をする人は構造的に敗者であるということになります」(73)。相手に先手を打たせ、それに「最適解」で応じようとする日本の姿勢に対しての批判。本当に言いたいことをまず決め、それを言う。条件反射ではない。
 「結婚が必要とするとのは、『他者と共生する力』です。よく理解もできないし、共観もできない他人と、それにもかかわらず生活を共にし、支え合い、慰め会うことができる、その能力は人間が共同体を営んでゆくときの基礎的な能力に通じていると僕は思います」(120)。まさに、「隣人を愛すること」。
 『成員条件を欠くものでも成員として含むことができるコミュニティー」(163)。これが共同体の本質。どのような人にも、おもてなしができる共同体。教会論に通じる。
 「贈与経済というのは、要するに自分の所に来たものを退蔵しないで、次に『パス』するということです。・・・『パスのつながる』プロセスを立ち上げるような仕方で贈り物をするのは、実はきわめて困難な事業なのです。というのは、適切な贈り物をするためには『贈る相手』をあらかじめ確保しておかなければならないからです。もらってから考えたのでは遅すぎる」(172, 174 )。贈与論。経済の話をしていますが、この考え方はすごく汎用性がある。恵みと信仰も同じかも知れない。恵みから信仰が生まれてくるのだが、信仰がないところに恵みは注がれない。からだを動かし始めると、自ずから恵みがついてくる。恵みは信仰に一歩遅れてついてくる、でも恵みによって信仰が生み出される、という実に矛盾に満ちた内容が事実のような気がしてならない。