クリスマスおめでとうございます

 今日、説教をしましたので、その要旨をお送りします。
 
「暗闇に届く光」(イザヤ書9:2−7[もしくは9:1−6])
 
I. 死の陰、暗闇
 クリスマスには「暗やみ」が強調される。人々は暗やみの中を歩き、死の陰の地を歩んでいる(9:1)。国家的、宗教的、戦争による暗やみが国を覆っていた。心の奥に潜む暗やみ、自分の歩みの中にある暗やみがある。そして、私たちはその奴隷となっている。暗やみは表には出てこず、むしろ私たちのうちで増殖する。
 
II. 暗闇に届く光
 しかし、クリスマスには「暗闇に届く光」も強調されている。「大きな光」の到来というよい知らせが語られるからだ(9:1)。光が一切届かない場所にさえ届く光が到来する。光の到来は、当初、驚きと痛みを伴う。しかし、しばらくの後、喜びの宴がはじまる(9:2)。
 
III. 王の誕生による解放と戦いの終わり
 暗闇に光が届くきっかけとは何だろうか。天地創造の神が与えられた神の働きを代行する子どもの誕生である。彼は人知を越えた知恵で世界を治め、敵を打ち負かし、民が安心する統治を行い、戦いを終わらせ、国々に平和をもたらす(9:5−6)。あらゆる重荷と苦しみからの解放が到来し(9:3)、あらゆる戦いが終わりを告げる(9:4)。
 クリスマスにその誕生を喜び祝うイエスこそ、暗闇に届く光をもたらす平和の王である。「光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ1:5)。しかし、イエスの誕生だけですべての問題が解決したわけではない。イエスご自身が最も深い暗闇をその生涯と働きの中で通られた。世の暗闇が最も明らかとなる十字架で、憎しみ、苦しみ、暴力、痛みをご自身の身に負われた。だからこそ、暗闇の中にある私たちにイエスの光は届く。
 イエスの再臨という夜明けが近いことをクリスマスは私たちに告げている。だからこそ、万軍の主の熱意によってもたらされた(9:6)光を覚え、感謝と賛美をささげつつ、主の再臨を待ち望もう。