新しい創造

 先日、宇宙論素粒子論に関する本を読んだ。そこに、ウロボロスの蛇というシンボルが登場する。つまり、拡大し、宇宙の起源をたどる時、実は物質の一番小さい、素粒子の話となる、ということ(らしい)。宇宙という蛇が素粒子というしっぽをのみ込んでいる。最も小さいものと最も大きいものが実はつながっているということのたとえだろうか。
 先日、学生たちに2コリント5:17を引っ張り出して、キリストの十字架と復活によるわざは、宇宙大の観点から「すべてを新しい被造物とした」というスケールの大きな話をした。でも、今日、散歩をしながらDallas Willardの講義を聞いていて、新しく造られた人の変化はその内側から、それもヴィジョンや世界観などから始まると言っていた。そこで、ふと考えた。そうか、キリストの十字架と復活は、世界をその最も大きいレベル(宇宙)と最も小さいレベル(人の心)を変えている。そして、それが普通のレベルへと進んで行くのではないのか、と思わされた。そして、普通のレベルの世界に「新しい創造」が現実とは思えないのは、神はマクロとミクロのレベルでまずはたらいておられるからなのか、など、考えた。
 でも、神は、マクロとミクロで終わらない。それは、普通のレベル、ひとりびとりの生き方と社会構造に「新しい創造」が生み出されることをいつも願っておられる。物理学が普通のレベルから始まってマクロとミクロへと進んで行ったのとは逆に、神の新しい創造は、マクロとミクロのレベルから始まるのかも知れない。
 分かるような分からないような話でした。