解釈原理としての教会暦

 今日は公現日である。そして、オフィシャルに今日でクリスマスの季節が終わる。
 キリスト教会の教会暦は、待降節アドベント)から始まる。待降節は降誕日(クリスマス)をもって、降誕節(クリスマス・タイド)へと移り、1月6日の公現日(エピファニー)をもって、降誕節は終わる。旧約聖書の預言、つまりメシヤ待望から(待降節)はじまって、メシヤの誕生、そして公現(東方の占星術師の到着とそれに重なるようにバプテスマのヨハネによるバプテスマ、さらにはカナの婚礼をこの日は覚える。そして、灰の水曜日までの期間、メシアであるイエス神の国の宣教の期間を覚える。そして、灰の水曜日から大斎節(レント)が始まる。十字架の苦難へと向かうイエスの物語をたどる日々が始まる。レントは棕櫚の主日(パームサンデー)から受難週、つまりイエスエルサレムでの日々を覚える季節に移り、洗足の木曜日、そして受難日と移り、十字架のクライマックスへと達する。そして、三日目の日曜日、復活日(イースター)に進む。メシヤであるイエスの復活を祝った後、地上での四十日間を覚え、父の約束を待つ(復活節)。そして、弟子たちによる宣教のはじまりの日、聖霊降臨日(ペンテコステ)が到来する。そののち、なにもない半年間があり、次の待降節が始まる。しかし、次の待降節は単にメシヤの来臨を待つ時ではなく、終わりの日のイエスの来臨を待ち望む時でもある。
 このように見ていくと、一年間、教会暦をたどる時、福音の物語が語られている。単にルカ・使徒行伝と続くイエスと教会の物語ではなく、創世記から始まる福音の物語である。教会暦は、このように福音の物語を語り続ける。そして、その物語の枠の中で、キリスト者は聖書を解釈していく。エイレナイオスは福音の物語がよく分かっていた。