ATA40周年記念総会第三日

 朝食で、粥を食べてみる。結構、おいしかった。
 バスは相変わらずの運転。しかし、道が混んでいた。そのためだろうか、少しゆっくり目(ただし、最後は飛ばしていた)。
 デボーションはナランドラ・ジョーン師によるコロサイ1:1−20の講解。特に残ったのは、社会のまん中における聖なる民。この民の造りかえられた生き方が重要であり、この聖なる民が世界を変える働き手であると言う点。死に満ちている世界のまん中で、イエスの復活の命を証言(語りと行い)する。
 午前1は、神学と教会のリーダーシップについて。まず、Luis Pantojaというフィリピンの神学校教師・メガチャーチ牧師(引退)による話。グローバリゼイションとキリスト教の変化、特に「エマージエント・ムーブメント」を参照し、世界各地に人が散らばっていく現象(ディアスポラ)を述べる。自身がフィリピン人であるので、世界中に散らばっているフィリピンのディアスポラに対する宣教と教育をどのように行うのか、という観点があるように思える。そういう意味で、遠距離での教育の重要性を訴えている。
 つづいて、murli menon(インド)が同様のテーマで短く講演。これからの神学教育の必要性として、若くして神学校に来るものが多いので、カテキズム教育とスピリチュアル・フォーメーションがまず大切であること。宣教への取り組みにおいて、どのようなことばを語るのか、聞き手がわかるようなことばを語るのか、が問われていた。さらに、富の問題。その富を責任をもってどのように用いるのかが問われてくる、と語る。
 午前2は変化するアジアの文化の中での教会について。まず、フィリピンの最高裁判事であったreynato puno氏による講演。特に宗教間対話の重要性が強調。教会が自らの「ドグマ」を押しつけるのはアジアの文化(様々な宗教の存在)では不適切であり、むしろイエスの教えとその例に倣い、他の宗教とも共通している「黄金律」に生きることの大切さが講演された。
 続いて、ivan satyavrati氏による同様の内容の講演。特に強調されたのは、グローバリゼイションに伴い、世界が互いに結びついていることとそのことが強力に自覚されている点の二つ。この結びつきとその自覚に伴い、普遍的な広がりとそれぞれの地域の特徴の強調が世界中に広がっていった。現実に起こっている特徴として、都市人口の増加と都市におけるキリスト者人口の割合の減少、他の宗教との出会いを通してのカルチャーショック、貧困の増大、キリスト者の存在が帝国主義の記憶を呼び起こす者として排除され、ディアスポラの存在によって文化の崩壊と再定着が進んだとのこと。だからこそ、教会が教会であるために、宣教を中心とした教会となり、特に都会における方策を考慮し、多様化、多元化の中で、福音の真理に固く立つこと。さらに、社会の必要に答え、互いに結びついており、互いに依存し合うという聖書的なモデルをしっかりと思索する必要性が述べられた。今日の宣教はあらゆるところからあらゆる所へと進むものである。