メディアリテラシー

 Twitterのおもしろさは、新聞等で報道されるのとは違った視点で、同じ現象が語られることに気がつくこと。
 今日、郵便不正に関する後半があり、石井一議員が証人となった。それについて、朝日新聞の記事は以下(抜粋)。

石井議員は弁護側の質問に対し、倉沢元会長とは06年11月に会い、凛の会の定期刊行物に政治主張を掲載しないかと持ちかけられて断ったとし、同会に関する話をしたのはこの時だけと説明。元会長が口添え依頼のため04年2月25日に議員会館で面会したと説明している点は「絶対あり得ない」と述べ、その日は千葉県成田市で政治家らとゴルフをしていたと主張した。また、元部長とは面識がなく、電話もしていないとした。

 ここで、興味深いのは、「ゴルフをしていたと主張した」というところ。「主張」と聞くと、なんとなく、決定的証拠などなく、自分で一生懸命いっているとなる。つまり、これを読んだ読者は、「ああ、また政治家が嘘をついている」と思わせる。
 ところが、江川紹子さんがこの現場にいて、そしてその内容をTwitterでつぶやいている。それを見ると、石井議員は、自分が普段から克明につけているメモの面会の日の部分を証拠として提出し、そこにはゴルフをしていたことが書かれている。さらに、その手帳の証拠採用を検察側が一生懸命拒否しようとしている。つまり、検察側のストーリーに不利な証拠なわけだ。もちろん、石井議員が嘘をついている、偽の証拠を作った、という可能性もある。だから、裁判官に判断は任されるわけだが、江川さんのリポートを見ると、単なる主張ではなく、「強力なアリバイの提示」と見ることもできる。
 新聞報道がフェアなのか、江川さんのリポートがフェアなのか、わからない。しかし、新聞やテレビが報道していることが、あたかも「真実」であるかのように取り扱い、それで右に左に触れてしまう私たちは、メディアに対して本当に批判的な目で見ているのか、考えさせられる。
 「大本営発表」ではだめだ。正確な情報を、いくつかの窓口から提出され、それを判断して行くことによって、より公平に物事をみることができるのではないだろうか。教会や教団の発表でも、同じことが言えるのではないだろうか。窓口を一つにしてしまうことは、時に、間違いを引き起こす。