理性の限界

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

 理性の限界、ということで、選択の限界、科学の限界、知識の限界という三つの観点から、わかりやすく論じた本。
 選択の限界のところで、囚人ゲームなどの話は社会心理学の本を読んでいたので、それなりに理解できた。それにしても、チキンゲームで勝つのが、最後まで引かない無謀なやつである点は、そうだよなあ、と思わされる。それにしても、選挙は公平そうに見えて、実はそうではない、という議論のあたりは、頷く。どのような形態で選挙するかで、だれが選ばれるのか、決まるのだ。
 科学の限界は、ハイゼンベルグや光の二重性など、それなりに知識のあるあたりはついて行けた。そういえば、アインシュタインの有名な「神はさいころを振らない」という一言に対して、ある人が、「Who is Eistein who orders the Lord?(主に命じるとはアインシュタインは何者だ)」と答えた人がいた話をSpeaking of FaithというAmerican Public Mediaのポッドキャストでやっていた。それにしても、科学は一種の宗教だ(人間集団の信念体系に過ぎない)と最後に言わせるあたり、さすが。宗教を科学化したり、科学を宗教化する様々な風潮に対して、気持ちよい一言だ。
 知識の限界は、ゲーデルは出てくるは、テューリング・マシーンは出てくるは、なんか、ちゃんと議論について行っていない感じ。でも、機械はすべての真理に導けないし、何を導くのか事前に決定できないし、いつ停止するかを事前に決定できない、という限界を持っている。それじゃあ、人間は機械か?という質問に対し、機械の思考の限界を証明することができる人間は、機械以上である、という理論あたり、なんとなく気持ちいい。なんとなく、限界の話をしながら、なんとなく限界を越えることができる人間を語っている感じ。
 論理学は、結構、おもしろい方向に発展しているようだ。そういえば、むかし、古典論理学を勉強して、退屈に思えたことを思い出した。たぶん、現代論理学をやり出すと、やめられなかったのかもしれない。