ハガイ書

 小預言書第十番目のハガイ書と、その直前のハバクク書の間には、時間的にも、歴史的にも大きな溝が存在します。ハバクク書において予告されていたバビロンによる破壊がユダ王国エルサレムに到来し、紀元前586年、エルサレムは破壊されます。そして、ユダの指導者たちはバビロンへと捕囚されていきました。しかし、539年、強大であったと思われていたバビロン帝国の首都は無血でペルシア王クロスの軍隊によって鎮圧され、ペルシア帝国が世界を治める時代が来ました。
 クロスは、捕囚のためにバビロンに集められていた諸国民をそれぞれの地域に返し、それぞれの神々も元の場所で礼拝することを推奨する政策を実施しました。その結果、翌538年、エルサレムへ帰還し、主の神殿を再建する命がクロスよりユダヤ人に出され、五万人ほどの人々がシェシュバゼルを先頭にして、帰国しました(エズラ2:64)。もちろん、バビロンに残った数多くのユダヤ人たちもいます。残念ながら、第一次帰還によって、神殿が再建されることはなく、わずかしか達成できませんでした。そのような中で、第二次の大きなエルサレム帰還の動きが520年頃に起こり、その時にエルサレムに戻った人々の中に、預言者ハガイがいました。
 
I. 神殿再建にとりかかる(1章)
 神殿の再建は、ペルシアからその地域の統治の責任者として送られた総督ゼルバベル(エホヤキン王の孫)と大祭司ヨシュア(「大祭司」という務めは捕囚期前には存在していない)によって進められようとしていました。彼らに向かって、「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日」(520年8月末)に預言者ハガイが万軍の主のことばを預言しました(1:1)。
 主の言葉のテーマは明確です。「主の宮を立てる時は来ているのか」(1:2)です。民は「まだ来ていない」と思っていました。ですから、自分のために比較的高価な「板張りの家」を断てることに熱心だったのです(1:4)。しかし、預言者は「あなたがたの現状をよく考えよ」(1:5, 7)と民に呼びかけています。現状はどのようなものだったのでしょうか。まず、神殿が廃虚のままであること(1:4)、次に、どれだけ働いても、それにふさわしい収穫を得る事ができず、「穴のあいた袋に」稼ぎを入れているようなものであること(1:6, 9)。三つ目に、干ばつが続き、農作物が取れないこと(1:10-11)。なぜ、このような現状なのでしょうか。それは、民が主の宮を顧みる事をせず、自分のことのためだけに心を砕いているからです(1:9)。だから、主が、雨が降らないようにさせておられるのです(1:11)。
 なぜ、主の宮が主にとってそれほど大切なものなのでしょうか。それは、神殿こそ、主がイスラエルの中で臨在される場所だからです。ですから、神殿への態度は神への態度の現れである、と理解されていました。「それなのにあなたがたは神殿をないがしろにしている」と帰還の民に向かって、主は警告の声を上げられたのです。
 ハガイを通して与えられたこの警告を受けて、ゼルバベルとヨシュアと民の残りの者たちは、主を恐れました。彼らの心は主の霊によって奮い立たせられ、再建の仕事にとりかかりました。ハガイを通して語られた主の言葉は、確かに民の心に届きました。そして、彼らに対して預言者は、「わたしは、あなたがたとともにいる」という主の言葉を取り次いだのです(1:12-15)。主の言葉に忠実に応える者たちと共に、主は働かれるのです。
 
II. 神殿再建からその後(2章)
 再建の働きはすすみ、同じ年の第七の月の二十一日(10月半ば)に、ハガイは別の預言を民に告げています(2:1)。それは、建築が進んでいる神殿が、以前のものに比べてあまりに劣っているために、このような神殿を建てる意味があるのか、と人々が思いはじめ、志気が高まらなかったからです(2:2-3)。預言者は、「強くあれ」と励ますとともに、出エジプトの時に立てられた契約は今も有効であって、神殿の再建を通して新しい主の救いのわざが始まるのだ、と述べています。世界とすべての国々を主が揺り動かし、他の預言者たちが約束したようにすべての国々が宝物をもってそこに集まり、神殿は栄光に満ち、かつてのものに勝った栄光を示す、と万軍の主は約束されました。そして、この地に「平和」が与えられる、と宣言されました(2:4-9)。
 同じ年の第九の月の二十四日(12月半ば)、神殿の再建を進める必要性を説得するために、別の預言がハガイから語られました。それは、まず、律法に関する質問から始められました。適切な祭儀を経た「聖なる肉」であったとしても、それにふれたものが「聖」となることはありません。しかし、死体という汚れたものに触った人は、触るものすべてを汚れたものとします。つまり、聖は伝搬しませんが、汚れは伝搬します(2:11-13)。これが、民の現実である、民のささげものの現実である、とハガイは訴えました。神殿が再建されておらず、ましてやそれが聖別されていないため、何を民がささげようとも、それは汚れたものであり、主に受け入れられない、それが現実です(2:14)。
 だからこそ、「きょうからの後のことをよく考えよ」(2:15, 18)と主は民に迫られています。「主の神殿で石が積み重ねられる前」(2:15)、つまり神殿が再建されていないうちは、きよくない彼らのささげもののゆえに、主の祝福は彼らに届かず、むしろ期待以下の収穫と病虫害と天災が彼らを激しく撃ってきました(2:16-17)。しかし、主の礎が据えられた日(この預言の日)以降、農作物の祝福が訪れる、と主は約束されています(2:18-19)。ヨエル書に記されている、主の日の祝福の回復(ヨエル2:21-24)が、神殿の再建に伴って現実となるのです。優先順位の最上位にあるべき主の神殿の再建が遂行されるならば、必ず、他の祝福が主から与えられる、との約束です。
 ハガイ最後の預言は、先の預言と同じ日に与えられたものです(ハガイ2:20)。2:7ですべてに述べられたように、主は天地を揺り動かし、世界中の王国を揺り動かす、と約束しておられます。異邦の王国は崩れ、彼らの軍団も破滅を向かえます(2:21)。諸国民の上に主の怒りが注がれる、主の日が間もなく到来する、と多くの預言者同様に、ハガイも告げています(たとえば、ゼパニヤ3:6-8)。その時、現在の総督であるゼルバベルは主のしもべ、王のしるしの「印形」、そして主に選ばれたものとなります(2:23)。ダビデの位に座す、新しい王が与えられるのです。
 ハガイの時代、主の約束が思ったように現実とはならず、人々は意気消沈し、その結果、自分の生活のことばかりに捕らわれてしまっていました。そのような中で、神殿の再建という優先順位が最上位のことにとりかかるように叱咤激励した預言者がハガイです。そして、神殿再建の先に訪れるであろう「主の日」の現実を待ち望んだのです。何事において、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)のみことばは真実です。この事を覚えて、今、なすべきことに取り組ませていただきましょう。