かけがえのない人間

かけがえのない人間 (講談社現代新書)

かけがえのない人間 (講談社現代新書)

 上田紀行の二冊目の新書。岩波新書の「生きる意味」の最後のほうに彼が展開していた「かけがえのない人間」というテーマを中心に、「生きる意味」の内容をさらに展開している。また、三分の一程度が、上田自身の自伝の形式をとっているので、へえ、と思わされることもある(彼が結構有名な翻訳家の息子であることなど)。
 ダライ・ラマとの対話も引用されている。興味深いのは、彼が怒りには二種類あるといっているところ。慈悲から生じる怒りと悪意から生じる怒り。愛と思いやりからでる怒りは必要であり、悪意からの怒りはそうではない、といっている。これは、旧約聖書における神の怒りをどう理解するかと同じ理解であり、Miroslav VolfがFree of Charge(Free of Charge: Giving and Forgiving in a Culture Stripped of Grace)で展開している議論と同じ。つまり、神が愛であるからこそ、神は怒りの神である。正義のない所に、正義を求める怒りは必要である。
 上田の議論は根本的には変わらない。自分自身のかけがえのなさの回復が、他者を助ける道であるということ(51)。自分のかけがえのなさに気がついた時、使い捨てられている人に対する助けの手を伸べる心が生まれてくる(103)。ここで興味深いのは、自らの感性と行動の結び付きの強調ではないかと思う。これは最後の部分でも、「愛されるより愛する人になる」ことの強調につながっている(226-229)。
 評価や競争に関する議論も結構いいとは思う。どちらも同じ内容であるが、切磋琢磨して向上するための評価や競争か、勝ち負けを決め、相手(または自分)を排除するための評価や競争か、これで大きく変化する。他者の評価ばかりを気にしている現代の世界において、自分を成長させることを目的としての評価と競争が大切になるのだろう。他者の評価がよかったから調子が上がり、感謝するのはいいが、その価値観に生き続けている限り、他者の評価が落ちれば、落ち込むだろう。他者の評価をしっかりと心に留めながら、自分の成長のために用いていくロバストさが必要な気がする。
 面白い表現は、「神が『落ちろ!』と準備した穴」。神の備えた試練とキリスト者ならいうのだろうか。落ちることによって、上田流にいえば「かけがえのないものに出会う」のだ(133-134)。そう言えば、わたしも結構、そんな穴に落ちて、成長してきたものだし、いまもそうなのかもしれない。ネガティブな出来事万歳である。
 結構、彼の話は好きである。もちろん、共同体形成の問題はあるが、目指していることは、現代日本社会に必要なことであろうとおもうから。山岸俊男も「不機嫌な職場」も上田紀行現代日本社会に関する同じような問題に、同じような解決の方向を指し示しているような気がするのだが。