ナホム書

 小預言書第七番目、ナホム書のテーマはアッシリアの都であるニネベへの主の審判です(「ニネベに対する宣告」〔1:1〕)。ヨナを通して語られた主の警告の言葉に耳を傾け、それゆえに主が災いを思い直され、滅ぼされなかったニネベでした(ヨナ3:10)。しかし、本書では、同じニネベの町に対する主の徹底的な滅びの予告が告げられています。ヨナ書で書かれている事のあとに何があったのか、聖書には何も記されてはいません。しかし、歴史の上では、紀元前612年、バビロンの前に都は陥落しました。オバデヤ書に続く神の厳粛な裁きを中心においた書ですが、そこからわたしたちは何を学ぶことができるのでしょうか。
 
I. ねたみといつくしみの神(1:2-15)
 本書の冒頭では、神の二つの側面が描かれています。まず、ねたみ、復讐し、憤り、怒り、必ず罰を下す方であること(1:2)。戦いに長じた勇者として、嵐の神の姿をもって、海を、地をくつがえすことができる(1:3-5)。さらには、水を自由自在に扱い、洪水をもって、その的を滅ぼしつくす一方で、主の仇を刈り株のように簡単に焼き尽くされる(1:9-10)。主に対しての悪巧み、よこしまなことを計る者たちへの主の厳粛な裁きです(1:11)。
 しかし、主の姿はそれだけではありません。「主は怒るのにおそく、力強い」(1:3)、さらに「主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである」(1:7)とあるように、ヨエル書(2:13)やヨナ書(4:2)にも描かれているあわれみの神でもあります。そして、主に身を避ける者を知り、守って下さるのです(ナホム1:7)。
 主の二面性、それはわたしたちの神への態度の二面性と並行しています。主に敵する者、よこしまを計る者には裁きを、身を寄せるものにはあわれみを下さるからです。ですから、ユダに対しては、主はあわれみの心を示されています(1:12-15)。主に敵する者に追わされたくびきを打ち砕き(1:12-13)、偶像を立ち滅ぼす一方でユダの子孫を集め(1:14)、よこしまなものを断ち滅ぼされます(1:15)。アッシリアとは書かれていませんが、大国の圧制からの解放が約束され、告げられています。勇者である主の勝利のよい知らせ、主がもたらして下さる平和を覚えて、主への礼拝がもたれるのです(1:15)。
 
II. ニネベへの審判(2〜3章)
 本書の後半の部分では、ニネベへの主の審判の様子が、様々な角度から描かれています。
 まず、2:1-10では、主がヤコブの繁栄を回復される一方で、「散らす者」がニネベを攻め上ってくることが記されています。バビロンの軍隊を想定して描かれているのでしょう。兵士の残忍さ、戦車の走り狂う様が記されています。本来は、人々を守り、その中に留めるはずの城壁がもはやその機能を果たさなくなり、門が開かれ、貴人、王妃とそのはしため、あらゆる人々、あらゆる財宝がそこから溢れ流れていくのです。町の崩壊です。
 続いて、預言者はニネベを獅子にたとえています(2:11-13)。アッシリアの王宮には、数多くの獅子のレリーフ(特に獅子がりなど)があったようです。そして、獅子を狩りで捕らえることのできる自らの力を誇ったのです。しかし、自らを獅子、さらには獅子よりも強い存在にたとえるニネベに対して、主が送る「散らす者」の剣によって、彼らが食い尽くされることが示されています。
 さらに、ニネベは遊女にもたとえられています(3:4-7)。彼女の魅力によって男たちが引き寄せられる姿を、貿易などによってニネベが諸国民と深くかかわり合うことと結び合わせています。しかし、彼女の魅力を主は打ち砕き、その恥をさらし、すべての人が「ニネベは滅びた」と叫ぶようになるのです。
 このような悲劇がニネベを襲うのは、ニネベ自らが「流血の町」だからです(3:1)。諸国で略奪を行い、武力によって多くの人々を殺してきた、その責任が問われているのです(3:2-3)。ですから、「ああ(わざわいだ)」と預言者はニネベについてため息をついているのです。なお、ニネベが「流血の町」とたとえられているひとつの理由は、アッシリア軍が633年にエジプトのノ・アモン(テーベ)の町を襲撃したからです。あのエジプトに行ってきた蛮行を思い出すように主は語っています(3:8-11)。来るべき軍隊の前では、ニネベもあのテーベと変わらない、同じような悲劇が訪れることを告げています。
 最後に、主はニネベに(3:12-17)、そしてニネベの王(3:18-19)に、来るべき裁きを告げています。ニネベの要塞は簡単に陥落し、兵士は力なくすぐに滅ぼされるでしょう(3:12-13)。どれだけ要塞を強固にかためたとしても、火は町を焼きつくすでしょう。そして、ついには中にいる人々は、どれほど多く増えていたとしても、ついにはいなごのように飛び去っていきます(3:14-17)。そのようにして、民が散らされていき、国はいやされることなく、ニネベは滅ぼされます、その国の王と指導者たちが眠り込んでいるうちに(3:18-19)。
 ニネベの運命は悲惨なものです。しかし、ナホムがニネベの裁きを宣告しているのは、単に「敵が滅ぼされ、うれしい」というものではありません。「主に対して悪巧みをし、よこしまなことを計る者」(1:11)には、主の激しい怒りが下るのです。ですから、私たちにも、このような厳粛な裁きが訪れる可能性があります。だからこそ、あわれみといつくしみの主に頼り、その方を避け所として歩ませていただきましょう。