電脳コイル

 電脳コイルの二巡目の第二回を家族で見る。「◦◦◦!」と叫ぶ京子のキャラは強烈で、うちの子どもも風呂の中で連発する。おい、おまえたちは三年生と一年生であって、京子はまだ幼稚園の年長だ!
 ネットを巡回していると、最後に謎解きをするために競った印象がある、というのが多い。確かにそうだと思うが、このアニメ、謎解きの側面よりも、子どもから大人への第一歩を描く側面が強い気がする。さらに、「目に見えるものと目に見えないもの」の二分化への疑問をも呈している(当然、「痛み」は見えない、感じる)。謎は謎として面白いが、メッセージ性が中心であるならば、謎解きをはしょってでも、メッセージの方に時間を費やすのはよくわかる。だったら、あの最後のスピード展開は当然なのかも。