日本の教会の目指す姿?

 日本人の特性を考えた時、逆説的ではあるが、「普段からNoが言えない人が、自由にNoを言える教会」を目指すべき気がする。あくまで逆説的であって、この裏返しは、「本当に心から喜んで主に従っていく教会」である。自由にNoを言うことができる環境にあるからこそ、周りの目によって行動が左右されない環境にあるからこそ、そこでのYesは心から、喜びをもってなんだろう。「内なる天皇制の克服」なんていう難しい言い方をしないで、社会心理学的に取り組む方がいいのかもしれない。