歴代志下

 歴代志上においてはダビデによる神殿建築の準備が物語られていました。下においてはソロモンにより神殿が建築され、彼の後に続く王たちがどのようにこの神殿に、そしてそこに住まわれている主に関わっていったかが詳しく描かれています。
 
I. ソロモンによる神殿建築(1章〜9章)
 主の恵みによって、ソロモンは国において自分の地位を確立しました(1:1)。彼は全てのイスラエル人と全ての指導者たちとともに会見の幕屋があるギベオンに生き、そこで犠牲をささげ、主から知恵と軍備と富を与えられました(1:2-17)。そこで彼は主のために神殿を、そしてみずからのために宮殿を建てる決断をし、建設を始めました。ツロの王から資材の援助を受け、工人としてヒラムを遣わしてもらい、イスラエル在住の他国人を労働者とし(2章)、エルサレムのモリアの山、ダビデがオルナンより買い取った打ち場に神殿を建設しました(3〜4章)。建築完成後、契約の箱はダビデの町であるシオンから神殿に移り、この事に感謝して祭司とレビびとたちに主を讃美しました(5章)。その時、主の臨在の栄光が神殿に満ちました(5:13-14)。
 ソロモンの奉献の祈り(6章)の後、天から火が下ってささげものを焼き尽くし、主がこの神殿を受け入れられた事が明らかにされました(7:1-3)。そして、主はこの神殿を選び、聖別し、ここでささげられる祈りに耳を傾けると約束してくださいました(7:12-18)。その生涯の間、ソロモンは、モーセの命令(律法)に則ってささげものおよび定例の祭りを守り、父ダビデが定めたように祭司とレビびとにその務めを果たさせました(8:12-15)。このようにして、ダビデの準備に従って神殿が完成したので、かつてはギベオンとエルサレムの二箇所に分かれていた礼拝の場がエルサレムにまとめられました。
 列王紀上ではソロモンの心が主から離れていったことが記されていますが(列王紀上11章)、歴代志下はこの事については沈黙しています。ただ、彼が他国の指導者たちからの称賛を受け、富と知恵において誰にも劣らない者となったとのみ記しています(歴代志下9:22-23)。ただし、王が主から翻った時、主はこの宮を捨てるという主の警告は歴代志下にも記されています(7:19-22)。そして、このことばは続く王たちの治世において、現実となっていきます。
 
II. ユダの王たち(10章〜36章)
 ソロモンの子レハベアムは若者たちの忠告に従うという愚かな選択を行い、その結果、ユダの町々に住むイスラエル以外の人々は彼から離れていってしまいました(10章)。北に住む民はヤラベアムを王として迎え、「ダビデの家にそむいて今日に至った」(10:19)と述べられています。更に、レハベアムの子である南王国の王アビヤは、北王国の民が大軍を頼み、ヤラベアムが造った金の子牛を頼み、ダビデの子孫に敵対し、アロンの子孫を祭司とせず、レビ人を追い出した、と非難しています(13:8-9)。主とダビデエルサレムの神殿を捨てた事こそが北王国の罪です。
 列王紀とは異なり、歴代志は南王国の王たちの活動にのみ焦点を当てて、彼らがどのように神殿に対応していたかに焦点を当てて、イスラエルの歴史を物語っています。
 それでは南王国の王たちはどのように神殿に接していったのでしょうか。南王国では、一時期を除きダビデの子孫が王として君臨し、民はエルサレムの神殿において礼拝を守っていました。また、何人かの王たちは、宗教改革を断行し、信仰を復興しました。アサは神殿以外の礼拝所を取り除き、偶像を除き去りました。これは預言者アザリヤの「あなたがたが主と共におる間は、主もあなたがたと共におられます。あなたがたが、もし彼を求めるならば、彼に会うでしょう。しかし、彼を捨てるならば、彼もあなたがたを捨てられるでしょう」(15:2)の忠告の言葉に従った行動でした。ただし、アサはその晩年、イスラエルの攻撃を受けた時にスリヤの王に寄り頼んだゆえに主から非難されています(16章)。
 アサの子であるヨシャパテもその治世の初期、ユダの町々で主の律法の書を民の間で教えるように祭司を送りました(17:7-9)。しかし、彼が「大いなる富と誉とをもった」時、北王国の王アハブと縁を結び、命を失う危機に会いました(18章)。さいわいなことに、そこからのがれたあと、彼は主の律法に基づくさばきを導入し(19章)、モアブやアンモンの人々が攻めてきた時には神殿で会衆と共に祈り、主に信頼したゆえに勝利を得ました(20章)。
 ヨシャパテに続く王たち(ヨラム、アハジヤ)は北王国の影響で主に背き続きました。アタリヤによって奪われた正当な王位をクーデターによって奪い返したヨアシも、その治世のはじめは神殿を修繕するなど、主に従ったあゆみを続けていましたが、この治世の後半には偶像に仕えました。アマジヤはその晩年にエドムの神々を求め、ウジヤも強くなるに及んで主に向かって罪を犯し、アハズは偶像崇拝を推奨し、アッスリヤと同盟を結びました(21〜28章)。
 このような中で、ヘゼキヤは「父ダビデがすべてなしたように主の良しと見られることをした」(29:2)と語られるように、宗教改革を断行しました。レビ人たちによる神殿の清めを行い(29:3-19)、神殿におけるささげものを回復し(29:20-24)、ダビデの命じた神殿における礼拝を再開しました(29:25-30)。さらに主の過ぎ越しを全イスラエルで守りました(30章)。民は偶像を打ち倒し、ささげものを神殿に携えてきました(31章)。ソロモン以降、ヘゼキヤほど忠実にモーセダビデによって命じられたことを実行した王はいないでしょう。
 残念ながら、ヘゼキヤの子マナセとその子アモンは主に背きました(ただし、マナセはその晩年に主の前に身を低くしました)。ただ、「主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲がらなかった」(34:2)と評価されたヨシア王は災厄へと進み行く王国を主に立ち返らせました。国から偶像を取り除き、神殿をきよめ、補修しました。更に、律法を民の間に読み聞かせ、もう一度主との契約に民を立ち返らせました。しかし、主の怒りを留めることはできず、女預言者ホルダがヨシヤに語った言葉の通り、もろもろののろいがエルサレムに住む者に下さることが現実になっていきます(34:23-28)。
 最後の王たちの姿は悲劇的です。エホアハズ以降、すべての王は死を待たずに退位させられ、多くが他国へと捕囚されました。そして、最後の王ゼデキヤはエルサレムと神殿の破壊に直面しました(36章)。主が民とそのすみかであるエルサレムをあわれむがゆえに、使者を頻繁に送ったにも関わらず、そのことばを南王国の民が軽んじ続けたからです(36:15-16)。しかし、七十年の荒廃と安息の後、預言者エレミヤを通して語られた主のことばが、ペルシャ王クロスによるエルサレムの神殿再建の命を通して成就します(36:22-23)。
 歴代志に登場する王たちに起こった出来事に共通するのは、主に従う者には報酬があり、主に背く者にはさばきがある、という原則です。たとえ主に背いていたとしても、それに気がついて悔い改め、自らを低くする時、主はゆるしと祝福を与えてくださる事実です(レホベアムやマナセがその良い例でしょう)。もちろんその逆も真実です。「あなたがもし彼を求めるならば会うことができる」(歴代志上28:9)とのダビデのことばが本書を一貫して流れています。