列王紀上1章〜16章

 ダビデによって堅く立てられた王国が、その後どうなっていったかを綴ったのが列王紀上下です。ひとつの王国であったものが分裂し、ついには滅びていく悲劇の歴史をたどりながら、なぜそのような事が起こったのかを本書は語っています。今回は、ダビデからソロモンに王位が継承され、その後、国が分裂するまで経緯を考えてみましょう。
 
I. ダビデの死(1〜2章)
 ダビデは年老い、その死期が近づいた時、次期王を巡る争いが勃発しました。ダビデの子であるアドニヤは、軍勢の長であるヨアブと祭司アビヤタルと相談し、自らが次の王となる計画を立てました(1:5−7)。そして、エンロゲンのほとりで自らが王であることを匂わせるような集いを開きました(1:9)。その一方で、預言者ナタン、ソロモンの母バテシバはソロモンが次の王となると信じていました。そこで、彼らが弱っているダビデに確認をした所、ダビデはソロモンを次の王とすると宣言しました(1:29−30)。祭司ザドクはギホンにおいてソロモンに油を注ぎ、民はソロモンこそが王であると認めました(1:38−41)。アドニヤの陰謀は失敗に終わりました。
 ダビデは自らの死後に備え、ソロモンに遺言を残しました(2:1-9)。そこで命じられたのは、「モーセの律法を守り行え、そうすれば、主はあなたを栄えさせる」という事、そしてヨアブとゲラの子シメイに対する報復でした。そして、ダビデの死後、ソロモンはアドニヤを殺し、祭司アビヤタルをアナトテに流し、ヨアブを殺し、シメイを追放の後、撃ち殺しました。その結果、「国はソロモンの手に堅く立った」(2:46)のです。ダビデの命に対する従順なソロモンの行動ではありますが、そこにきな臭さがあるのも事実です。王制の持つ問題点がここにも現れています。
 
II. ソロモンの治世(3〜11章)
 即位当初、ソロモンは「主を愛し、父ダビデの定めに歩ん」(3:3)でいました。そして、主への祭壇のあるギベオンを訪ねた折、主は夜の夢にソロモンに現れ、必要なものを求めるように呼びかけました。若くして王となった自分の姿を鑑みて、ソロモンは聞き分ける心と裁きに必要な善悪をわきまえる心を主に求めました。この答えは主のみこころにかない、先に並ぶ者のない知恵と共に、富と誉れを主はソロモンに与えられました(3章)。その知恵に基づいてでしょうか、ソロモンは王国を治めるために、王宮で働く高官たちと各地を司る代官たちを任命しました(4章)。
 ソロモンの生涯における最大のプロジェクトは神殿の建設でした。彼は父と親交の会ったツロの王ヒラムにレバノンの香柏を譲ってもらうように依頼し、さらにイスラエル全地から強制労働者を徴募して、神殿の建設を始めました(5章)。神殿は長さが60キュビト、幅20キュビト、高さ30キュビト、その内側に主の契約の箱を置く本殿が設けられていました。本殿には契約の箱の他に二つのケルビム(神の使いの像)が置かれていました。そして、この神殿建設に7年間かかりました(6章)。ソロモンは神殿と共に、宮殿(長さ100キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビト)を13年かけて建築しました。自分の住む宮殿が神殿よりも数倍大きいという点に、ソロモンの姿勢が表れているのかもしれません。なお、ソロモンはツロの青銅の細工人に神殿の為の様々な什器を造らせました(7章)。確かに神殿建設は素晴らしい働きですが、そこには強制労働者の犠牲とツロという異邦の地の影響が濃く表れてしまった事実を忘れてはいけません。
 神殿が完成した時、ソロモンは主の契約の箱を神殿にかき上り、羊と牛をささげ、至聖所に契約の箱を安置しました。すると、神殿に主の臨在の雲が満ちました(8:10−11)。ソロモンは全会衆の前で主の祭壇の前に立ち、祈りをささげました。それは主が約束された神殿建設を完成された事への感謝の祈りであり、ダビデの子孫たちが主の前に歩むならば主が継続的に祝福を与えられるようにとの懇願の祈りでした(8:23−26)。更に、ソロモンは神殿が祈りの場となり、そこでささげる祈りと願いを主が聞いてくださるように求めました。隣人に対して罪を犯した時、主に対して罪を犯したゆえに敵に敗れた時、罪ゆえ雨が止められた時、災害が起こった時、異邦人が主を求めて神殿に来て祈った時、敵と戦う民が神殿に向かって祈った時、捕囚となった時、主が祈りを聞いて、ゆるされるように願い求めました(8:27−53)。主はこの神殿を喜んで受け入れられました。そして、ダビデが歩んだように、まったき心を持って、主の前を歩むようにソロモンに命じられました。もし主を捨てるならば、神殿は主の前から投げ捨てられ、荒れ塚となるからです(9:1-9)。
 さて、ソロモンは驚くばかりの富を蓄えましたが、それは諸国との交易を通して得たものでした(10章)。しかし、経済的な成功が彼の罠となってしまったのです。交易を円滑に進めるために、ソロモンは外国人の妻とそばめを多く持つようになり、彼女たちを通して彼の心は他の神々へ転じていきました(11:1-8)。その結果、主は、ソロモンの死後に国を二つに裂き、そのうちのひとつを彼の家来に与えると宣言されました。ただ、ダビデのためにその王家は残されるというあわれみも示されました(11:9−13)。主のあわれみと厳粛なさばきがこの預言の言葉に表されています。事実、国はその領土を周辺国に奪われていきました。さらに、エフライムびとヤラベアムに十二部族の内の十部族を与える約束を主はなされました。そして、ソロモンは死を向かえたのです。
 
III. 王国の分裂(12〜16章)
 ソロモンの死後、その子レハベアムは長老たちの忠告を聞かず、若者たちの声に従って強制労働をさらに増やすと民に宣言しました。その結果、イスラエルの民はレハベアムを王とすることを拒絶し、それぞれの天幕に去っていきました。レハベアムはユダとベニヤミンの部族だけの王となってしまいました。その一方で、ヤラベアムはその他の十部族の王として即位しました。その結果、国はユダ王国(南王国)とイスラエル王国(北王国)に分裂しました。その後、南北の戦争が一触即発の状況の時、預言者を通して伝えられた神の言葉によって戦いは一時的に止められましたが(12:1-24)、この後、二つの国の間での争いは繰り返されました。
 北王国の王となったヤラベアムは、民がエルサレムの神殿に上ることをとどめるために、二つの金の子牛を造り、これこそがイスラエルをエジプトから導き上った神であると宣言し、これらをベテルとダンにおいて、北王国の礼拝所としました(12:25−33)。しかし、これは主の命に背いた罪です。その結果、主はヤラベアム一族を滅ぼされる事を宣言されました。
 南王国において、レハベアムも主以外の神の礼拝を続けました。その結果、エジプトがエルサレムを攻め、多くの宝物が奪い去れました(14:21−28)。しかし、ヤラベアムの孫であるアサが王であった時代、神殿から偶像がのぞかれ、一時的な宗教改革が起こされました(15:9−15)。
 北王国はどうなったのでしょうか。ヤラベアムの死後も、その子孫はヤラベアムの罪を離れませんでした。その結果、バアシャによるクーデターによりヤラベアム一族は滅び、次の王家による統治が始まりました。しかし、バアシャの子孫もジムリによって起こされたクーデターで失脚しました。そして、オムリ一族が王位を握るに至ります。この後、北王国は経済的には発展しますが、ヤラベアムがはじめた罪を離れることはありませんでした(15:25−16:34)。