サムエル記下11章〜24章

 統一イスラエル王国の二代目の王として即位し、エルサレムを都と定め、国に平和をもたらしたダビデはその絶頂期にありました。しかし、まさにその時に、王家の将来を定める出来事が起こりました。そして、ダビデ一族は嵐の中を通り抜けていきます。
 
I. ダビデの罪(11〜12章)
 絶頂期のダビデに起こったひとつの事件を通して、王家にに呪いの影がさすようになります。それは、雨期が終わって春となり、王たちが戦いに出かけるべき時に起こったひとつの出来事をとおして弟子た。その時、イスラエルの全軍が前線にでていましたが、ダビデエルサレムに留まっていました(11:1)。そして、夕暮れに王宮の屋上を歩いているダビデは、ひとりの美しい女がからだを洗っているのを見つけたのです。彼女は、イスラエルの兵卒であったヘテびとウリヤの妻、バテシバでした。ダビデはその王としての権威を用いて彼女を王宮に招き、彼女と関係を持ちました。その結果、彼女は妊娠し、その知らせがダビデに伝わりました(11:2-5)。
 この事実を隠すために、ダビデはウリヤをエルサレムに招き、自分の家に帰そうとしました。しかし、イスラエルの王のために戦う兵卒としての自らの任務に忠実なウリヤは、家に帰らず、王宮の門の入り口で休んだために、ダビデの思惑は外れてしまいました。そこで、ダビデはヨアブ宛の手紙をウリヤに持たせ、戦いの場へと送りました。手紙にはウリヤを最前線に送って殺せ、という命令が記されていたのです。そして、ウリヤは激しい戦いの最前線で命を失いました。この知らせを聞いたダビデは、何事もなかったかのようにヨアブを励まし、戦いを続けるように進言しました。ウリヤの喪が過ぎた時、ダビデはバテシバを自分の家に妻として召し入れ、男の子を彼女は生みました(11:6-26)。
 ダビデは数多くの罪をここで犯しました。隣人の妻をむさぼり、姦淫をおかし、殺人を犯しました。王が、その権威を濫用したのです。当然、ダビデのこの行為は主を怒らせました(11:27)。そこで、預言者ナタンが主から遣わされ、ダビデにその罪を指摘しました。そして、他者に対する罪だけではなく、主とその言葉を軽んじる行動であったと彼はダビデを断罪しています。更に、ダビデの家からつるぎは離れず、災いが彼の一族の上に襲いかかると預言しました。ダビデは自分の罪を認めましたが、生まれた子は主に撃たれて命を失いました。しかし、主はダビデにもうひとりの男の子をバテシバを通して与えられました。それが、後に王となるソロモンです(12章)。
 
II. ダビデ一族に襲いかかる悲劇(13章〜20章)
 つるぎをもってウリヤを殺したダビデに与えられた「つるぎがダビデの家からは離れない」という預言は、現実となっていきます。ダビデの娘タマルを腹違いの兄アムノンが恋し、彼女を強姦し、その果てには彼女を憎んで、捨てたことから悲劇は始まりました。このことを聞いたダビデは非常に怒りましたが、なんの行動も起こしません。しかし、二年の後、タマルと同じ母を持つ兄アブサロムは、妹の復讐の名目でアムノンを殺し、その後、逃亡の生活を送るようになりました(13章)。ヨアブのとりなしによってアブサロムはエルサレムに戻ることができましたが、王に謁見する機会を彼が得るまでに、それから二年が必要でした(14章)。その後、アブサロムは王に不満を持っている人々の人気を集め、ダビデに反旗を翻し、ヘブロンで自らが王となったことを宣言しました。このことを知ったダビデは、エルサレムを離れ、逃亡の旅に入ります(15章)。そして、アブサロムたちはエルサレムに入城し、彼のクーデターは成功したように思えました(16章)。しかし、アブサロムの天下もそう長続きはしませんでした。エルサレムに残ってたダビデの友ホシャイの奸計にはまって、アブサロムを支えていたアヒメレクは失脚し、自害するに至ります(17章)。更に、戦いにおいて、アブサロムはその頭がかしの木にかかり、身動きが取れなくな利、彼を見つけたダビデの軍勢の長ヨアブによって刺し殺されました。ダビデは、アブサロムを殺さずに保護せよ、と命じていましたが、ヨアブはそれに従いませんでした。ウリヤの死の知らせを聞いたダビデは冷静でしたが、アブサロムの死の知らせに接したダビデは激しく泣きました(18章)。その後、ダビデエルサレムに帰還し、ばらばらになっていた国を修復していきました(19〜20章)。
 
III. ダビデの生涯(21章〜24章)
 サムエル記下の最後の部分を見る時、ダビデの生涯を振り返ることができます。
 まず、ダビデの生涯は、神の選びとあわれみに基づくものでした。ダビデの読んだ2つの詩(22章、23:1-7)にこのことが表されています。いやしい者を引き上げ、高ぶる者を低くする主が(22:28)、ひとりの羊飼いに過ぎなかったダビデを選び、高く挙げて、イスラエルの王としてくださった(23:1)。偉大な勇士であり、戦いに長けている主が(22:8-16)が、ダビデを敵の手から救い出された(22:17-20, 30-49)。主はダビデの歩みを見て、義なる王として報いてくださった(22:21-25、23:5)。そして、ダビデの王家を主は永遠に保たれる(22:51、23:5)。サムエル記下7章で約束されていたことが、この詩において、再確認されています。
 その一方で、王としてのダビデの治世は戦いに明け暮れた時でした。ペリシテ人との戦いにおける勝利(21:15-22)やダビデと共に戦った多くの勇者たちが挙げられています(23:8-39)。英雄的な行動による勝利を勝ち得てはいましたが、これらの戦いがイスラエルの火を消す可能性さえもあった事実をもこのリストは述べています(21:17)。
 最後に、ダビデの生涯は主のさばきのつるぎと主のあわれみに満ちています。サウル一族がギベオン人(イスラエルの民ではないが、命を守る契約をたてた)に対して行った虐殺の罪に対しての主のさばきとして、三年間の飢饉がイスラエルに訪れました。そこで、ダビデはサウルの子孫の内から七人をギベオン人に渡し、さらにサウルとヨナタンの骨をベニヤミンの地に適切に葬ることによって、このさばきは終わりました。あわれみ深い主が祈りを聞かれたからです(21:1-14)。その一方、ダビデみずからが王としてのプライドに動かされ、民の数を数えることを命じました。その結果、主からのさばきを民の間の疫病という形でダビデは受けることになりました。自分が主の手に陥るのをダビデが拒んだからです。しかし、疫病の悲惨さを見たダビデは、責任を痛感し、自分の家に災いを、と祈ります。主はこの祈りに応え、災いを取り除かれました。これを受けて、宮殿のすぐそばにあるアラウナの所有する打ち場をダビデは買い求め、そこで主に犠牲をささげました。この場所が、後の神殿の地となるのです(24章)。
 このようにして、ダビデの生涯を振り返ってみて行く時、わたしたちは神の恵みと選びの祝福と共に、人間のわざの限界をありありと見ることができます。あのダビデでさえも、自らの権威を乱用して、自らの家族を含めた多くの人の上につるぎを招いてしまいました。しかし、そのような中でも王国を堅くされたのは、ダビデを選び、彼を敵から救われた主です。ダビデの生涯は、人の思惑を超えて御心を現実にされる「主は生きておられ」(22:47)ることを明確に示しています。