国家の罠

 国家の罠について、興味深く思った点について、追加。
 この本のタイトルについて、新潮社の伊藤幸人氏が伝道の書9:11-12を引用して、「国家の罠」としたとのことが書かれていた(394-395)。ここでは、実力だけはなく、時の重要性が語られている箇所である。つまり、時が悪ければ、「鳥が罠にかかったりする」のだ。
 この箇所を引用し、今回の国策捜査を「国家の罠」と呼んだ点に本書に書かれている出来事に対する著者の主張が現れていると思う。彼らは悪いことをしていた訳ではない。意図的に法律を犯そうとした訳でもない。そして、いわゆる普通の時であるならば、彼らの行ったことは見過ごされていたであろう。ところが、今回は時が悪かった。タイミングが悪かった。時代の変化のスケープゴートにされてしまった、というわけである。本文中にも、検察官との対話の中で、そのような旨のことが書かれていた。
 時代の変化、そういえば談合の摘発、お笑い知事の誕生、テレビ番組のデータ捏造、その他もろもろの出来事を見る時、時代が変わってきていることを感じる。