士師記

 主のことばに従う時、イスラエルは戦いで勝利を得ることがヨシュア記には記されていました。その一方で、主のことばを捨てた時、イスラエルは隣国の圧制に苦しむことを士師記は記しています。ヨシュア記は「従順による勝利」の書、そして、士師記は「不従順による敗北」の書です。
 
I. 未征服の地(1:1-2:5)
 約束の地に住んでいた民を追いだし、その土地を征服することを主はイスラエルに命じられました。しかし、その目標に向かって「取るべき所はまだ多い」と主はヨシュアに語られています(ヨシュア13:1)。そこで、ヨシュアの死後(士師1:1)、イスラエルは分配された土地を獲得するために戦いに出て行きました。ユダも戦い、確かに多くの地で勝利を獲得し、カナンの地の民を滅ぼしていきました。しかし、平地の民を追い出すことはできません。なぜなら、彼らは鉄の戦車という当時の最新鋭の武器を持っていたからです(1:19)。他の部族も同様でした(1:21-36)。
 残念ながらイスラエルはすべての民を追いだすことができず、結果として主の命令に従うことができませんでした。その結果、主はカナンの地の民を追いだすことを放棄され、むしろ彼らがイスラエルの敵となり、彼らの神がイスラエルのわなとなると宣言されました(2:3)。そして、追い出すことができなかった民のゆえに、イスラエルは主に従わうことができず、むしろ敗北と衰退のらせん階段を落ちていくのです。
 
II. 士師たちの活躍(2:6-16:31)
 それぞれの地に去っていった民はどうなったのでしょうか。彼らは背教を繰り返し、主を捨て、周囲の国民の神々に従っていきました。その結果、主は怒り、彼らを周囲の敵の手に渡されました。圧制の下、彼らはひどく悩み、ついには彼らは主に叫び声をあげ、祈ります。主はその祈りに応えて、さばきづかさと呼ばれる戦いの指導者を送り、民を圧制から救い出されました。しかし、平安が地に来た時、民は再び主に従うことをせず、むしろ他の神々を慕いはじめます。そして、また周囲の敵の圧政下に苦しむのです。士師記を読む時、このようなことが幾度も繰り返されていることがわかります(2:11-23)。
 士師記において、民の背教と主の憐れみの姿は五組の「さばきつかさ」の登場を通して描かれています。メソポタミヤの王の圧政の下にあるイスラエルの叫びに応えて主が送られたのは、カレブの弟ケナズの子オテニエルです(3:7-11)。その後、イスラエルはモアブの王エグロンの支配下に陥ります。しかし、主は左利きのエホデをイスラエルの祈りに応えて送られました。彼は「あなたに伝えるべき機密がある」とエグロンをだまし、二人きりの場で彼を暗殺し、イスラエルを解放します(3:12-30)。
 エホデの死後、民は主に対してまた悪を行い、その結果、主はカナンの王ヤビンの手にイスラエルを渡されました。主は、民の祈りに応えて女預言者デボラを送られました。彼女は、バラクに主が彼をイスラエルのさばきつかさとなるように命じておられると告げました。しかし、バラクは自分一人で行くことを拒み、デボラが彼と共に行くように願い求めます。バラクは決して勇敢ではありませんでしたが、主は彼を通してヤビンの軍隊を打ち破られました。ただし、ヤビンの軍勢の長であるシセラを捕らえ、彼を撃ったのはヘベルの妻ヤエルでした(4:1-24)。
 ミデアンの圧政下に陥ったイスラエルの叫びに応えて主が送られたのがギデオンです。彼も勇敢でも信仰的でもありませんでした。彼は敵の目を避けるために酒ぶねの中で麦を打っていました(6:11)。主の使いから「あなたの力を持ってミデアン人の手からイスラエルを救いなさい」と言われても、「わたしにはできない」と躊躇しました(6:15)。更に、主の命に従ってバアルの祭壇を打ち壊す時も、人々をおそれた彼は夜にそれを実行しました(6:27)。自分を通してイスラエルを救うかどうか自信がないので、主にしるしを二度求めました(6:36-40)。しかし、このような者をも主は用いられたのです。特に三百人の精兵のみを用いて大軍勢を打破したできごとを通して、自分たちの力によって勝利を得たのではない、と主はイスラエルに教えられています(7章)。
 ミデアンに対する勝利の後、イスラエルはギデオンに王となるように願いましたが、彼は「主こそがまことの王である」と語って、その提案を拒否しました(8:22-24)。しかし、ギデオンの子アビメレクは父の死後自ら王となり、更には他の兄弟たちを虐殺しました。しかし、アビメレクは残虐な行いの責任を自らの身に負い、ひとりの女の投げたうすの上石に頭蓋骨を砕かれて、死にました(9章)。まだ、イスラエルに王が与えられるべき時ではありません。
 アンモンびとによってイスラエルが悩まされた時、遊女の子であり、略奪を生業としたエフタを主は用いられました。主の霊がのぞんだエフタはアンモンびとを攻め伏せ、イスラエルを救いました。しかし、「勝利の時、家の戸口で迎えるものを燔祭としてささげよう」と誓ったために、自分のひとり娘をささげる結果に陥りました(11章)。
 ペリシテびとの手によってイスラエルが苦しんでいた時、主は信仰深いマノアとうまずめの妻にサムソンを与えられました(12章)。そして、彼を用いて、ペリシテびとの手からイスラエルを救われました。ただし、その両親とは異なり、サムソンは決して信仰的な人ではありませんでした。ペリシテびとの女を妻に迎え、だまされた憤りにまかせて多くのペリシテびとを自らの怪力によって惨殺し、デリラにだまされて自分の力の秘密を明かしてしまいました。その結果、自らの力を失い、ペリシテびとに捕らわれの身になります。しかし、最後に、主はサムソンの祈りに応え、彼に最後の力を与えられました。その結果、自らの死の場面において、彼は数多くのペリシテびとを道連れにしたのです(13-16章)。
 このように、士師記に描かれているイスラエルは徹底的に乱れています。そして、主が立てられたさばきつかさたちも「信仰的」とは言い切れません。しかし、そのような者をも用いて主はイスラエルの切実な叫びに応えられたのです。主の不思議なみわざを見ます。
 
III. 王なき民の無秩序(17:1-21:25)
 イスラエルに蔓延する無秩序は士師記の最後においてクライマックスに達します。正当な血統にないレビびとを祭司とし(17章)、刻んだ像を礼拝して、その奪い合いをしました(18章)。ベニアミンに位置するギベアの人々は、旅人をもてなすことをせず、むしろ彼のめかけをはずかしめ、殺してしまいました(19章)。その結果、イスラエルの間に内戦が起こり、ベニアミンびとが滅亡の危機に陥りました(20章)。イスラエルのひとつの部族が滅びるのを恐れた民は、適切とは思えない方法でベニヤミンびとに妻を与えました(21章)。
 このように、イスラエルに無秩序が蔓延しました。主のことばは守られず、民はほしいままに振る舞ったからです。その原因は何でしょうか。それは「そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところを行った」(21:25)からです。王の登場によってイスラエルに秩序が回復されることを願って、士師記は幕を閉じます。