教育の方針(その2)

 書きはじめて終わっていないので、続き。まず、もう一度、自民党案の第2条。

(教育の目標)
第2条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
 2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
 3 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
 4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 二つの相反するものが並べられていると考えることができる文章。
 まず、知識と教養を身に付ける、真理を求める、情操と道徳心を培う、といった知的、人格的な側面とともに健やかな身体の養成(第1項)。なるほど、現在の学校でしていることかな、とも思える。しかし、気になるのは「知的偏重教育」を批判しながら、まずあるのが「知識の教育」。
 次に、個人の尊重(価値観の尊重、能力の発展、創造性、自主自律)とそれに対応するのが職業教育。この組み合わせはよくわからない。本来は、他者との共存というポイントが入るべきだろう。では、なぜこのように組み合わせたのか。個人の尊重が、勤労への参加を留めている、と考えているのだろうか。フリーターの増加は個人の尊重が原因だ、と断罪しているのか。
 三つ目が「正義と責任、男女平等、自他の敬愛と協力」とそれに対応する「公共の精神、主体的な社会形成への参画と寄与」。後者はむしろ第2項の後半にあるべきものと思える。しかし、あえてここで置かれているのはどういう意味か。考えられるのは、正義、平等、敬愛と協力の教育(これは戦後教育のあるべき姿)が公共の精神を衰退させたという理解。つまり、リベラルな(あまりにも一般的すぎることばだが)教育とコンサーバティブな教育(公共性の強調)を相対させているのか。それから、「正義と責任」という並べ方はどういうことだろうか。「正義を全うする責任」か、それとも「正義とそれによって忘れらる責任」か。
 第4項は生命、自然、環境の保全戦後60年、忘れられてしまったこと(生命)と教えられてきたこと(自然と環境)。
 最後がいわゆる物議を醸しているもの。伝統と文化の尊重、祖国と郷土への愛。それに対応して、他国の尊重と国際社会の平和と発展に寄与する態度の養成。個人的に、前者は問題を感じはしない。伝統と文化を大切なものだと思う。また、日本という国を愛しているし、郷土を愛おしく思う。そして、それが他国の尊重と対をなしているのは当然だろう。自らを尊重し、他者を尊重するところに平和があるからだ。最大の問題は「祖国と郷土への愛」は何によって測れるか、という問題だと思う。そして、この対のバランスが崩れた祖国と郷土への愛が強調されはしないか、という不安だろう。国と郷土を愛するゆえに、あえて苦言を呈する、権力者に反抗する、この態度を内包できない愛国心なるものは嘘だ。今年の八月にはそのような話を説教しようと思っている。特に愛国者エレミヤの姿を。
 ここまで考えてきて、不思議に思うこと。それは現行法の文面、

第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

を変える必要があるのか、という点。たとえば、「自他の敬愛と協力」という表現を真剣に追い求めるならば、当然、個人だけではなく、自らがその一部である社会を愛し、国を愛するべきだ。そして、他国を尊重しつつ、平和の創造を追い求める。「実生活に即す」のだから、当然職業教育も必要だ。まああえて加えるのならば、「文化の創造と発展」を「文化と平和の創造と発展」と直せばより日本国憲法の精神と一致する。
 更に、「自発的精神の養成」がなくなっている点が気になる。本物が生まれてくるのは自発性だ。これが無くなった時、人は奴隷となる。削除しているのは、この「自発的精神の養成」こそが現代日本の教育の問題だと理解しているからだろうか。教会を牧会して思うのは、教会に自発的精神が養成されていないから、さまざまな問題が起こるということ。今日、友から送られてきた電子メイルの中に「走る文化」とい表現があった。自発的精神が養成されない所は、人に走ってもらう文化である、と。今でも日本の文化は人に走ってもらう文化であるが、もっとそうなって欲しいと思っているのだろうか。
 自民党案を読んで思うことは、彼らは「書きすぎている」。現行法をちゃんと読み解き、「釈義」し、それを拡げている「解釈力」があれば、現代の問題に対して十分に対処できるはずだ。欠けているのは、現代の現実へ当てはめていく「想像力」なのかも知れない。