The Last Word: Beyond the Bible Wars to a New Understanding of the Authority of Scripture

The Last Word: Beyond the Bible Wars to a New Understanding of the Authority of Scripture

The Last Word: Beyond the Bible Wars to a New Understanding of the Authority of Scripture

 聖書の権威を、正確に定義(「聖書を通して行使される神の権威」)して、narrativeの観点から議論している(らしい)本。読みはじめたけど、頭に入っていなかったので、もう一度始めから。
 旧約聖書における「神のことば」についての概念について、Wrightは次のように表現している。

Or, to put it another way, the creator God, though utterly transcendent over and different from the world which he has made, remains present and active within that world, and one of the many ways in which this is so is through his living and active word. (p.38)

つまり、神の臨在と活動があざやかにあらわされる手段として、生き働く神のことばが用いられていると述べている。
 なぜこれが心に留まったのか。実は、最近の早天で詩篇119篇を八節づつ読んでいる(22日もかかる)。何ヶ所かの表現で、「神の臨在」と「神のことば」が密接に結びついていることに気がついた。たとえば、150-151節(口語訳)。

わたしをしえたげる者が悪いたくらみをもって近づいています。彼らはあなたのおきてを遠くはなれているのです。しかし主よ、あなたは近くいらせられます。あなたのもろもろの戒めはまことです。

主が近くにおられることと主の戒めの確かさが並列されている点は特筆すべき点ではないだろうか。つまり、神のことばは「一書の民」にとって、まさに神の臨在を確かなものとして示すしるしである。そして、主権者なる神の臨在があるからこそ、神のことばを通して主の権威が行使されるのである。
 たぶん、これとよく似た思想は申命記にあったはず。McBrideのノートか何かを見直さなければ。