Minority Report

昨晩、買っておいたMinority ReportのDVDを見る。結構スリリングで面白かった。決定論と自由意志の問題を取り扱っている訳で、最終的には「人間の選択の自由」の勝利となる。決定論的に生きない、ということ、つまり自由意志を尊重するということは、それなりの責任を負うということにつながる。責任を負うということは、クリスチャン的に言うと、「罪を負う」と言い換えることもできるのかもしれない。罪と無縁の生活ではなく、いつも罪と隣り合わせの生活を送るのが選択の自由を持つ人間であり、時にはボンヘファーではないが「この世界でキリスト者として歩むゆえに、あえて罪を犯す」ことさえも必要になってくるように思える。そして、それと同時に、そのような自由意志に生きる人間の行動をも乗り越えて、全能者なる神はそのみこころを遂行していかれるのだろう。とはいえ、本当に人間には選択の自由があるのか、という問題があるのも事実。そして、自由意志というものが単なる「仮想現実」である可能性も忘れてはいけない。う〓ん。むずかしい。