昨晩電話。今月中に書き直す必要あり。否定できない、けども肯定もできない、という判断か。歴史的かつテキスト中心的な神学では限界があるのは事実で、納得はしてもらえないのだろう。それならば思いきり「経験」中心主義的な神学、テキストをmetaphoricalに用いる神学で書く必要があるのだろう(とはいえ歴史的かつテキスト中心的なものもmetaphoricalではある。人間の言葉による神学は最後まで象徴的である。結局は程度の違いか、それともわたしはあまりにmodernなのか。みんながあまりにpre-modernなのか)。ただ、あくまで聖書を正典とする教会の神学であるはずだから、伝統を重んじつつも、伝統を批判的に受け継ぐ必要はある。伝統主義的な書き方で、伝統主義的な表現に留まり続けるのはだめだろう。ああ、ややこしや〓、ややこしや〓(「にほんごであそぼ」より)。