Les Miserables

 「レ・ミゼラブル」を見てきました。一杯でした。見ている人の平均年齢は高いほうでしょうね。
 1987年にロンドンで上演されているのを見ましたし、その後、テープを買って、聞いていてので、よく知っているつもりでしたが、今回、字幕と丁寧な映像付きでしっかり見て、かなり印象が変わりました。
 まず、これは、一人の男の贖罪の物語であるということ。罪人が、人からのゆるしを直接経験することにより、新しい人生を始め、その中で、他者(コゼット)を愛し、自らを犠牲として献げることによって、神に受けいられる確信を得るという流れがある。僧侶からのゆるしなしに彼の新しい人生は始まらなかっただろう。
 その中で、ジャヴェールとジャン・バルジャンの二つの正義のヴィジョンが追突している。ジャヴェールの正義は法の正義、ただし彼の法の正義はあくまでも持つ者たちに有利に働く法の正義である。その一方で、ジャン・バルジャンの正義のヴィジョンは、人格という正義。それは人は変わる、という前提の正義であり、ゆるしに基づく正義であり、弱者を生かす正義である。ジャン・バルジャンの正義は自由を与える正義である一方で、ジャヴェールの正義は自由を奪う正義かもしれない。そして、ジャン・バルジャンの正義を経験したジャヴェールは、世界が自分のヴァージョンの正義でできておらず、ジャン・バルジャンのヴァージョンの正義でできていることに気づき、その世界から去る、つまり自殺を選ぶ。
 さらに、反戦の映画なのかな、とフィナーレを聞きながら感じた。鋤をとり、剣を捨てるのが天国のビジョンである。そして、天国には社会的弱者が集まっている。ジャヴェールはそこにはいない。
 それにしても、キリスト教の匂いが実に強い物語。贖罪、ゆるし、天国のヴィジョンがわからないとわからない。そして、ジャン・バルジャンが時々、イエスの姿と重なる(十字架を持ち上げる?)。彼は聖徒だ、というマリウスのことばは、彼自身の贖罪の完成なのか、彼による贖罪の完成なのか、わからない。娼婦におちたフォンティーヌを救おうとするジャン・バルジャンにイエスが重なる。そのテイストはあるようだ。
 もっと細かいことは、歌詞を検討しないとだめなんだろうな。それにしても、実に、宗教的な映画を見た。それが日本人で一杯、というのは、まんざら悪いことではない。単なる男女、親子の愛の話ではない。そこに神の愛とキリストの愛が映し出されている。いい映画でした。是非、ご覧ください。
 <追記>
 そういえば、ジャン・バルジャンとコゼットの出会いの場面が井戸であるというのは、びっくりした。旧約聖書での男女の出会いのタイプシーンは、いつも井戸であった(アブラハムのしもべとリベカ、ヤコブラケルモーセとチッポラなどなど)。