2012年 するべきこと(ああ、忙しそう)

 今年すべきことのメモを。神学校で新しいカリキュラムがはじまり、「日本・世界・教会」というクラスをする。どのように導いていくか、どのような課題を紹介するか、そしてどのようにして、わたしたちが置かれている世界の現状にアプローチするか。考える必要ありです。他のクラスも開くけれども、旧約総論と聖書解釈学の授業ノートにしっかり手を入れたい気分。あと、ヘブル語のノートは、ちゃんとした飜訳になるにしようと思う。あと、2012年度のことばかり言っているけれども、その前に2011年度の後期を終えないとだめだけど。それに加えて、1月から3月まで、神戸ルーテル神学校の垂水分校での10回の授業がある。箴言と伝道者の書について。これもある。目の前のものを終わらせないと。
 飜訳関係。まず、聖書飜訳は、二つ目の改訂作業の締切が8月31日。取り組み始めたけれども、これは時間がかかりそう。それから、Walter BrueggemannのProphetic Imaginationを飜訳する仕事を請け負っている。とこの締切が12月31日。これも取り組み始めたけど、予想外に時間がかかりそう。癖ある文章を書くからなあ。
 論文が一本。旧約聖書における死生観について。これは4月末に第一校をまとめないといけない。案とアウトラインはあるけど、すこしリサーチし、これまでのものを拾い出してこないとなあ。関西学院大学の図書館のパス、来年度も取らないと。それから、6月1日にバイブルハウスで写本と飜訳について話をするんだった。これも忘れかけてました。
 こんな仕事をしながら、自分の霊性をしっかりと鍛えたい。それと、家族と過ごす時間とからだを動かす時間、もう少し大事にして行かないと。これらすべては霊性に結びついている。東北に対して何らかの個人的な時間を取りたいけどなあ。
 今年は、海外に逃げ出す予定はなし。でも、どこからか降って湧いてくるかも。それがこわい。ローザンヌ関係はなにもないはずだけど・・・。
 今年のテーマの聖句はなんだろうか。昨年末にあげたローマ8:10を味わいたい。「もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。」