駄文を書きました

 駄文を書きましたので、載せます。はい。
 
おっさんの独り言
 
 「こひつじ」なる文集への投稿は、たぶん30年ぶりとなります。中学生、高校生の6年間、一生懸命に原稿を書き、ガリを切り(わかるかな、わかんないだろうなあ)、指を真っ黒のしながら輪転機で印刷し、必死に冊子作りをしたのが、懐かしく思い出されます。ああ、あの頃は若かった。今の会堂の建設中には、自分の通っていた高校のすぐ裏にある教会の事務所(といっても、一般の民家ですが)で「こひつじ」を作っていました。
 今や、コンピュータのワープロで原稿を書き、締切(というか、印刷する日)の前日に原稿のファイルをメールで送ろうとしています。印刷機は良くなって、指を真っ黒にすることもないでしょう。冊子作りも、昔よりはスマートになったでしょう。見た目も、きっと、30年前よりもきれいになるはずです。私は、30年過ぎて、ただのおっさんになり(あの頃の自分の父よりも年上)、白髪が増え、体重も増え、背丈は変わらず。不思議なことに、神戸中央教会の協力牧師として任命を受け、ジュニア・ヤングで話をし、礼拝でも話をし、CSでも話をしているのです。
 
 2011年の8月に、高校卒業三十年を記念して、高校の同窓会がありました。出席してきました。男の友人たちは、やっぱりおっさんになっていました。ターザン山下も、若作りしていますが、同学年です。あんまり変わっていないやつもいました(昔から老け顔だったからでしょう)。あの頃から変わらずかっこいいやつもいました。けれども、腹が出て、髪の毛が薄くなっていた人がほとんどでした。わたしもです。女性の同窓生たちを見ていて、昔、ターザン山下に先を越された、好きだった子を見つけました。30年経って、おばちゃんになっていました。すこしがっかりしました。正直な話です。それと、女性の顔を見ても思い出せない人が多くいました。よく考えたら、吹奏楽部の同期以外の女性の顔をあんまり覚えていなかったのです。当然、彼女たちの名前もです。そんなもんでした。
 けれども、同窓会の最後に、みんなで校歌を歌いました。吹奏楽部、応援団、音楽部は前に出てこい、と言われたので、私も出て行って歌いました。少し忘れていましたが、かなり覚えていました。そして、何となく、30年前にタイムスリップした気分になりました。自分は(そしてまわりも)、30年経って、おっさんやおばさんになりましたが、あの校歌は変わっていませんでした。そりゃそうでしょう。でも、何となく、懐かしくなりました。
 
 30年経てば変わります。人間だから当然です。会いたかったけど、会えなかった友人もいました。それから、同窓会をきっかけに、facebookでつながり続けている人もいます。いろいろです。でもやっぱり、あの時と今をつなぐのは、あの時も、今も変わらないなにかです。おっさんは、それを思い出して、懐かしくなるのです。
 
イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブライ人への手紙13章8節)。