型破りと形なし

 説教の準備をする中で、型破りと形なしについてちょっとした調査。
 武道などの型を修得した人が、その型を破るのが型破り。しかし、型など修得していない人が型など考えずに型に従っていないのが形なし。ちなみにここで言う「型」とは制限ではなく、適切な作法。つまり、あるべきすがた。
 キリスト者の生き方には型がある。「キリストにある自由」ということで、型を修得しようとしない人がいる。それは間違いである。あるべき姿、健全な姿、最も自由に生きることができる姿、そういう意味での「型」がある。型にはめるのではなく、本当の自由を獲得するために必要な型である。ピアノの演奏者の型、武道家の型。その型を自らの者にすれば、キリスト者は本当に自由にこの時代に生きることができる。そして、その型を修得する(経験の修業)したものが、それを破っていくことが「型破りのクリスチャン」。
 しかし、世の中には「形なしのクリスチャン」が余りに沢山いるのではないだろうか。