はじめての言語ゲーム

はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

 久しぶりに一冊、本をちゃんと読了。これまで飜訳やなんやで、読めていなかった。
 ヴィトゲンシュタイン言語ゲームの話。前期と後期が大きく違うとか、後期は言語ゲームだとか、知っていることではあったが、入門書として大変読みやすいものだった。とはいえ、いろいろと考えなければ読みにくいが。
 興味深いのは、言語ゲームは、相対主義と絶対主義の両者の主張を持っている、という指摘である。

言語ゲームの考え方だと、「どんな言語ゲームも、外的視点からながめることができ、その外に出ることができる」(相対主義の主張)は、かならずもうひとつの、「人間は人間であるためにかならずどれかの言語ゲームに属しているはずだから、すべての言語ゲームの外に出ることなど不可能である」(絶対主義の主張)とペアになっている。(252)

たしかにヴィトゲンシュタインの現実主義的視点から考えると、なるほど、といわせる。従って、完全な相対主義にはなりえない。
 そこで、異文化の間での相互理解のために、人々の振る舞いの一致に見られるルールを記述し、ルールとルールの間の関係を記述すること。続いて、異なる言語ゲームの間のルールを比較すること。そして、理解と共存のためにルールの変更を提案すること。
 ヴィトゲンシュタインは、言語ゲーム間のincommensurability(公約数のない状態)を語っていると思っていたが、最低、橋爪氏の理解からいうと、外からその振る舞いを理解でき、その振る舞いのルールを記述できると言っている。ポストモダンでありながら、相対主義の無法の世界までは行っていない。なるほど、おもしろい。勉強になった。