私家版日本語文法
- 作者: 井上ひさし
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1984/09/27
- メディア: 文庫
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わたしは形容詞がすくなかったのは「互いの心持がよくわかつて居た」からではなくて、たがいの腹の底が知れないからこそではなかったか、という疑いに突き当たったのだが、そういう疑問を抱いてはまちがいだろうか。・・・・たとえば枕詞はその一例証ではないのか。・・・・ある事物を修飾し形容する言い方が常に同一でなくてはならないこのような約束事が重んじられ、しかもその数が八百五十にも及ぶというのは、人びとの心持がぴたりと合っていたからではなくて、互いに相手の腹の底がわからず、それでは不安でたまらないので、そういう約束を決め、このときはこう、あのときはああとおもいこむようにしたのではないのか。(14−15)
日本社会の社会心理学の理論と同じことをことばを通して井上ひさしは言っているように思う。「約束を決めることによって、お互いに思い込むようにする」という集団主義が日本の共同体を支配していたわけだ。
今、約束事がなくなってしまった。けれども、相手の腹の底がわからないのは変わらない。そこにいるのは、自分の腹の中の思いだけで生きている人間だけ。鋭い。