Enns vs Beale

 現在、WheatonCollegeのG.K.BealeがPeterEnns(元WestminsterTheologicalSeminary)を批判した本を読んでいる。
 Bealeの批判を読みながら、Ennsが何をしたいのか、すこし想像できるようになった。Ennsはサムエル記以前の部分、特に創造や洪水の部分を、神話(myth)の文脈で理解したいのだ。そして、現代の保守派がその部分を歴史という文脈で理解していることへの疑問を提示しているのだ。たとえば、創世記1章を「歴史」ではなく、「神話」の文脈で理解すると(創世記1章が「神話である」とEnnsはいっていないようだ、「神話という文脈で理解する」とは言っている)、文字通り七日間の創造の立場を取る必要は全くなくなる。あくまで

Myth is an ancient, premodern, prescientific way of addressing questions of ultimate origins and meaning in the form of stories: Who are we? Where do we come from? (Enns, 50)

究極的なものごとの起源(つまり創造)と意味を物語の形式で述べているという文脈の中で創世記1章を読むことを彼は推奨している。
 メインラインの聖書学ではあたりまえのように言われていることだが、保守派の聖書学ではBealeが異議ありと言っていることからわかるようにあたりまえではない。さて、どうなのか。