A High View of Scripture?

A High View of Scripture?: The Authority of the Bible and the Formation of the New Testament Canon (Evangelical Ressourcement: Ancient Sources for the Church's Future)

A High View of Scripture?: The Authority of the Bible and the Formation of the New Testament Canon (Evangelical Ressourcement: Ancient Sources for the Church's Future)

 福音派の立場から、福音派の「正典(canon)」理解、「聖書(scripture)」理解を明確にしようとしている本。ただし、彼のアプローチは、新約聖書の正典の成立史から。つまり、教会教父たちが新約聖書に集められた書(または集められなかった書)をどのように理解してきているか、をたどっている。
 彼の理解のいくつかをピックアップする。まず、新約聖書が集められていったプロセスを鑑みるとき、教会と新約正典とは密接に結びついていること。二世紀の異端との議論を見るとき、「閉ざされた正典」という発想は存在しない。その時代の「正典」とは、新約聖書という正典ではなく、「信仰の規範」という伝統という正典であり、異端との議論もこの伝統との関わりの中で行われている。教会は四世紀になっても、「閉ざされた正典」をもってないないこと。従って、初代教会が「新約聖書」という正典を信仰の基準としていたと考えることは間違っていること。
 新約正典の成立史に関する議論の助けになるが、福音派における「無誤性」の問題や「霊感」の問題については、極端な例に対しての警告を発しているに過ぎず、新しい(?)提案にはなってはいない。ある意味で、AchtemeierのInspiration and Authorityと同じ議論をしているようにも感じる。ただし、あくまで福音派の枠組みで、新約聖書の正典の成立史を用いている点は、異なるが。
 19世紀の自由主義との戦いの中で生まれた福音主義の聖書理解が抱えているひずみを、今後、いかにして超越していくのか、課題は多い。日本では、このあたりの議論はまだ行われていない(アメリカではいろいろでているが)。Peter_Ennsを巡る福音派の議論に関する本を読む予定だが、このあたり、時間をかけて、ゆっくりリサーチして、まとめていく必要はあるのだろうなあ