長野での聖火リレー

 長野での聖火リレーの映像がテレビで流れるが、ひどいものだ。構図としては、聖火リレーを粛々と実施しようとする日本、自国のメンツと栄光を願い、聖火リレーが自らの開くオリンピックの栄光を現すと考える中国、中国の持つ矛盾を追求し、聖火リレーを潰す事によって中国への抗議の姿勢を表そうとするチベット
 あれだけ中国の留学生を長野に集めるのにかかったお金はどこから出ているのだろうか。同様の事がチベットにも言える。
 もちろん、根源にあるのは、多様性を認めようとしない中国政府である。そこからどちら側につくのか、その対立の過激化が起こっている。
 結局、一番気になるのは、多様性の中の平和を生み出す事のできない人間の姿であろう。平和の祭典であるのだから、多様性の中の平和を表す事ができればいいはずなのに・・と思う。